Ageはイシューでない
年齢は、通常の場面では問題とすることが少なくなった基準です。しかし、新型コロナの重症化や死亡リスクは、高齢者に偏っています。このため、「高齢者を見捨てる」という政策が取られかねません。今回の記事は個人的意見を強めに出しますが、私は、こうした政策には断固反対です。
私はもうすぐ80歳になります。
「その歳になって、よく原稿を書き続けますね」と先日言われました。
「80歳になっては、ものを書く気力も能力も失われるだろう」との先入観にたっての発言です。しかし、何たる認識の誤りでしょう。
瀬戸内寂聴さんは、100歳近くになって新聞連載を続けています。
先日の記事には、「歯を喰(く)いしばって、『自助』を貫いてきた。その長い歳月、国家や政府から『公助』を受けた覚えはない」とありました(朝日新聞、2020年10月8日)。
これを読んで、人生の基本姿勢を考え直した人が大勢いたことでしょう。私も、頭を殴られたような気になりました。
これまでは、「50、60はハナタレ小僧。70になってやっと世の中がわかる」と息巻いていたのですが、80歳になってもまだ「ハナタレ小僧」であることを悟りました。
私は、まだこうした文章を書けるようにはなっていません。あと20年も書き続けないと、その境地に達することができないと、強く感じました。
1984年のアメリカ大統領選挙。当時のレーガン大統領は73歳で、史上最高年齢の候補者でした。
この時行われたテレビ討論で、「年齢問題」が提起されました。民主党候補のモンデール氏は56歳。「レーガン氏は、危機に際して大統領の激務に耐えられないのではないか?」という問題です。
それに対してレーガン大統領は、「私はこの選挙で年齢を争点にしたいとは思いません」とちょっと困った表情を見せたのですが、それに続いて次のように言ったのです。
「したがって、モンデール氏が若いために経験不足であることを、政治的に利用するつもりはありません!」
会場は爆笑に包まれ、モンデール氏も思わず笑ってしまいました。
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