名古屋の味噌カツ「矢場とん」が串で勝負する訳 コロナ禍で攻める名古屋の外食チェーンの現在

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「おひざ元である大須観音の真横という立地が決め手でした」とトップの思いを代弁するのは店舗営業部の千野広仁部長。「大須の町から観光客がいなくなってしまい、育ててもらった街を盛り上げなければという思いが一番。また地元の人にあらためて矢場とんのみそかつを食べていただきたいという思いもありました」と話す。

「昔の矢場とん」は10月16日オープン。「矢場とん 矢場町本店」とは同じ大須エリア内ながらちょうど対角線上の徒歩10分ほどの距離があり、近年の本店の行列の常態化に足が遠のいていた地元住民を今一度ふり向かせる役割も担う(写真:筆者撮影)

あえて看板商品のみそかつを扱わず、みそ串かつを目玉にしたのは、もともと同社の人気を不動にしたのがみそ串かつだったから。中日ドラゴンズのフランチャイズ球場だったナゴヤ球場で1972年(当時は中日スタヂアム)~95年までテナント出店し、そこでみそ串かつは飛ぶように売れた。

店内の厨房では調理が間に合わず、本店で揚げては球場へ配送していたといい、当時を知るファンの間では今なお「矢場とん=ナゴヤ球場のみそ串かつ」の印象は強い。これを前面に打ち出したのは、創業以来の苦境に立ち向かうための原点回帰といえる。

実験的要素も強い新業態でありながら、「大須で新しく店を出すからには絶対にやり続ける」という強い使命感を持っての開業だったという。週末の集客は600~700人。コロナ禍が終息していない状況下にあっては、まずまずのスタートといえる。

現状、グループ全体の売り上げは、前年同期比でおよそ70%。完全復調にはまだ道半ばといった状況だが、新しい利用動機を取り込む施策の数々は実を結びつつある。社会貢献活動にも熱心で体力のある企業だけに、非常時に次につながる手を打っている姿勢は頼もしいと言えるのではないだろうか。

手羽先の「世界の山ちゃん」の今

名古屋めしチェーンの中でいち早く全国展開を果たし、“手羽先=名古屋名物”と広く認知させてきたのがエスワイフード運営の「世界の山ちゃん」だ。1981年に4坪の極小店からスタートし、2005年の愛知万博の前後から出店ペースを加速しておよそ70店舗を展開。名古屋めしブームの一翼を担う存在となった。

メインメニューの「幻の手羽先」。コショウ辛さがクセになり、1人前5本で1人平均2.5人前ほどを食べる(写真は5人前、筆者撮影)。

メインメニューの「幻の手羽先」のスパイシーでクセになる味わい、そして名古屋めしのデパートともいうべき幅広い商品構成、さらに何よりリーズナブルで大衆的な居酒屋業態であることがウケ、近年はとくにインバウンドからの人気も集めてきた。

しかし、“インバウンドに人気の居酒屋”はまさにコロナショックで最も打撃を受けた業態。コロナ禍真っただ中の4月には、グループ全体の売り上げは実に前年同期比およそ9割減という非常事態に陥った。

まず打った手はお持ち帰り用弁当の販売。名古屋市内の本部1階にある料理研究所で弁当を調理し、店舗が集中している都心部の主要な店舗で店頭販売。4月末には1日で最大120個を販売した。一昨年末にオープンし、現在2店舗の点心専門店「世界のやむちゃん」でも弁当を販売し、こちらは1日最大60個を販売した。

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