大家族生活からドヤ街に流れた男の意外な最期 「寿町」の住人・サカエさんは静かに眠れたか

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3日目に、部屋まで様子を見にきたことぶき共同診療所の看護師に発見されて、一命を取りとめた。救急車で横浜市立脳血管医療センターに搬送され、そこで3カ月半にわたって発音と歩行のリハビリテーションを受けた。車椅子生活になりたくない一心で、懸命にリハビリに励んだ。

アルクのミーティングにせよ脳血管医療センターのリハビリにせよ、サカエさんは一所懸命やる時は、ものすごく集中してやるらしい。極端な勤勉と極端な放蕩が、サカエさんの中に同居している。そうした気質が脳の病気に由来するものなのかどうかわからないが、ギャンブルへの没入も、あるいは過剰な集中の一種なのかもしれない。

日本地図についての意外な一言

現在のサカエさんは、××××館で平穏な日々を送っている。

2週間に1度、ことぶき共同診療所に通って脳の興奮を抑える薬を貰い、歩行が困難になったので、週に1回、平松整形外科で診察を受けている。ドヤの一階にあるヨコハマ介護デイサービスのヘルパーが毎日やってきて買い物と部屋の掃除をし、週に一回洗濯をしてくれる。入浴は週に2回。ヘルパーが部屋まで迎えに来て、デイサービスのお風呂に入れてくれる。

寿町にはデイサービスもたくさんあるし、医療機関も複数ある。ドヤの部屋まで配達してくれる弁当屋もあるし、ドヤの入り口には宿泊者を見守ってくれる帳場さんもいる。サカエさんのように病気を抱え、家族から見放されてしまった人を受け止めるインフラが集中的に存在して、一種のコンパクトシティーを形成している。

どんな問題を抱えた人でも、どんな障害を抱えた人でも、この街だけで事足りてしまう。同時に寿町には飲み屋もノミ屋もたくさんあり、パチンコ、パチスロにボートピア(競艇場外発売場)まである。この手のインフラにも、事欠かないのである。

「寿町の生活は楽しいよ。オレはアルクに行ってたから友だちが多くて、外に出ればすぐ友だちに会えるんだよ。でも、ミチコにも、栃木の兄貴にも年賀状出したけど、戻ってきちゃった」 

サカエさんは枕元の手紙の束の中から2枚の年賀はがきを抜き出して、見せてくれた。印刷された年賀はがきの文字を書くスペースに、サカエさんの無表情な顔写真が貼ってあった。おそらく証明写真ボックスで撮ったものだろう。長男(ミチコと前夫の子供)が送ってきた養子縁組解消手続きの書類が入った封筒も見せてくれたが、サカエさんのこれまでの行状を考えれば、已むなしという気もする。

ふと、サカエさんの背後の壁に貼ってある、カレンダーほどの大きさの日本地図に目がとまった。私は同じ体裁の日本地図が寿町にある酒屋、山多屋の壁にも貼ってあったのを思い出した。

山多屋は戦前の寿町にあった酒屋であり、現在も戦前と同じ場所で営業している数少ない店舗のひとつである。

現在の山多屋はいわゆる角打ちをやっていて、午前中から飲んでいる客が大勢いる。角打ちコーナーには日本地図が貼られていて、横浜に住む知人の話によれば、年の瀬の山多屋では、故郷に帰れない、帰ることを歓迎されないドヤの住人たちが、壁の日本地図のそこここを指さしては、オレの故郷はここだ、オレはこっちだと言い合いながらコップ酒を呷るのだという。

やはりサカエさんの日本地図も、故郷を偲ぶよすがなのだろうか。

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