大家族生活からドヤ街に流れた男の意外な最期 「寿町」の住人・サカエさんは静かに眠れたか
病院の診断結果は、脳神経の発作だった。過去にも2度ほど前兆があったが、本格的な発作はこれが初めてだった。病気の悪化のせいなのか否か、この出来事の後、サカエさんは数回にわたって警察沙汰を引き起こすことになる。まずは大船。
「(職人の)みんなで酒飲んでるとき、みんなが社長ばっかり儲けやがってって言うからさ、オレが代表して社長の車に灯油をぶっかけたんだよ。そうしたら酔いが醒めるまで大船署に入れられちゃった。火は点けなかったよ」
大船の畳屋には借金があったが、借金は返さなくていいから辞めてくれと社長から言い渡された。
灯油の次は、コンビニの棚の商品をぶちまける騒ぎを起こして拘置所に入れられた。
「オレは子供の頃から、空の雲が覆いかぶさってきて殺される夢ばっかり見るんだ。オレが急に駆け出したりするのは、怖い夢を見たからなんだよ」
殺される夢を見てコンビニで暴れて、「ササゲの拘置所に入った」と言う。おそらく横浜刑務所のことだろう(横浜刑務所の所在地は旧笹下町)。
自宅に入れてもらえず、寿町へ
この間、家族はどうしていたかというと、座間のアパートから県営住宅に引っ越していた。拘置所を出たサカエさんは、友人の伝手で足立区の畳屋に入り、再び単身で寮生活を送ることになった。長女が足立区の寮まで会いに来たというから、家族はまだ崩壊したわけではなかったのだろうが、肝腎のミチコの心が離れてしまった。
「足立の畳屋で半年ぐらい働いたんだけど、病気もあるからって、辞めて家に帰ったら、かかあが家に入れてくれないんだよ。金を渡さなかったからね。おんで、ここ(寿町)へ来たんだよ。仕事で近くのマンションに来たことがあったから、こういう町があるのは知ってたんだよ」
正確に言えば、サカエさんが足立区の畳屋の寮から寿町にやってくるまでの間には、ワンクッション入っている。3カ月間、横浜の某NPO法人の施設で暮らしていたのだ。サカエさんの話を総合する限り、かなりグレーな団体である。
なんでも横浜スタジアム近辺でおにぎりを無料で配り、それを貰いに来たホームレスに声をかけて保護するのだという。施設に連れ帰って生活保護の申請をさせ、部屋と3度の食事だけ提供して、残りの保護費はNPO法人が取ってしまう。
サカエさんが手渡されたのは一日1000円のタバコ銭だけだったというから、これが果たして保護なのか、それとも保護費狙いの”捕獲”なのか、微妙なところだ。
「囲い込みって言うらしいよ」
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