コロナ禍で急増「自分を監視したい人々」の怖さ 世界は全体主義に巻き込まれようとしている
國分:軽信とシニシズムの共存、これがアーレントの指摘した大衆社会の特徴であり、またわれわれが生きる現代社会の特徴でもあると思います。そして繰り返しますが、アーレントはこのような大衆社会が全体主義の到来を許したと考えていたわけです。
中島:価値や意見が何なのかが、どんどんわからなくなっているのですね。そこに、大きな意味での民主主義の危機があるように思います。
國分:それが日本で顕著なのかどうかも気になるところです。ガブリエルさんとは、2018年の来日時に「民主主義」をテーマに対談をしました。
その際、彼がドイツ基本法(=憲法)第一条にある「人間の尊厳は不可侵である」という価値を、ドイツ人は誰一人も疑っていないと自信をもって述べたことが強く印象に残っています。「人間の尊厳は不可侵である」というのは価値であり理念ですよね。一つの価値を不可侵のものとして掲げることは、法学的には立憲主義ということになります。そして立憲主義はある面では民主主義と対立する。
というのは、民主主義とは、デモス(民衆)の支配のことであり、つまり民衆が権力を作り出し、決定を下すことであるわけですが、立憲主義はある価値観に基づいてそれに制限を加えてくるからです。
民主主義と立憲主義のバランス
國分:民主主義はみんなで決めることに重心がかかっている。それに対して立憲主義は、みんなで決めたことであってもルールに反していれば無効にするということです。
ガブリエルさんはあのとき、価値が共有されてこそ民主主義も可能になることを強調していました。確かにそういう面もある。民主主義的決定が及ぶ範囲をあらかじめきちんと決めておくということですね。
ただ、僕はそれとあわせて、民主主義と立憲主義は別の原理であるということを強調しなければいけないと思っています。
中島:樋口陽一先生をはじめとする憲法学の言葉を借りれば、立憲主義と民主主義という緊張関係にある両極のどこにバランスを取るのかは、各国それぞれの歴史が反映されているわけです。
國分:もちろんドイツの歴史を見れば、民主主義がナチズムという大変な惨禍を招いたという歴史があるので、立憲主義が強いのは理解できます。だとしても、彼がドイツ人は「人間の尊厳は不可侵である」という価値を誰も疑っていないと堂々と言い切ったことに僕はびっくりしました。
日本国憲法にも「基本的人権の尊重」というすばらしい価値が書き込まれている。けれども、僕は日本国憲法にある「基本的人権の尊重」という価値を疑っている日本人は一人もいないなどと言うことはできない。
中島:価値なるものがあることを当然の前提にしておかないと、あるタイプの価値相対主義のような攻撃に対して無力になってしまうことが結構あります。では、その価値を支える根拠は何か。それは哲学でも問われていますし、國分さんが指摘された立憲主義と民主主義の関係を考える際にも問われていると思います。
國分さんとの対談の記録を読むと、ガブリエルさんは事実から価値を導き出せると述べている。これは興味深い指摘です。