私は50年以上にわたって主に小学生に授業をしてきました。「教える」とはどういうことなのか、今も考え続けていることですが、最も大切なことは「教え惜しみ」をすることだと思っています。
人が最も成長するのは、自分で考え悩み抜いたときです。だから教える側は、できるだけ教え惜しんで、問いと答えのあいだに間(ま)を置き、本人の「知りたい」「追究したい」という気持ちに火をつけるように導くことが、本当の「教える」ことだと考えています。
小学校3年生の授業で、円の直径の学習をしたときのことです。私は「こういう直径もあるんだよ」と、円の中に時計の8時を示す直線を引きました。子どもたちは「それは直径じゃない」と非難の声を上げましたが、私は反論しました。「直径は円の中心を通る直線だろう。教科書にそう書いてある。8時の線は円の中心を通っているし、両方とも直線だ。だからこれも直径のはずだよ」と。
「教え惜しみ」が重要
子どもたちは虚を突かれ、その後、私の説に賛同する子と反対する子で論争が始まりました。そのまま結論を出さずに授業を終えました。子どもたちは家に帰って親や隣の大学生や高校生に聞いて回ったようです。大人の答えも半々でした。
3日が経ち、調べ尽くしたかなという頃合いを見計らって答えを教えました。「『直径ではない』が正解です。直径の定義には『直線で区切られた二つの部分の面積が等しい』というもう一つの条件があり、それを満たしていないからです」と。
ここで子どもたちに教えたかったことは、直径には二つの定義があるといった知識ではありません。知識の成り立ちや背景を自ら追究するという体験です。わざと間違った考えを提示して思い込みを揺さぶり、同時に、最も肝心な部分はあえて教えませんでした。だから子どもたちは必死になって調べ、考えたのです。
私たちはたくさん教えるほど人は育つと考えて、手取り足取り教えようとします。ところが、それでは人は育ちません。多くを伝えようとしたら少なくしか教えない、すなわち「教え惜しみ」が重要なのです。
これは会社の上司と部下の間でもいえると思います。最近の若い人は、問題を与えられれば知識やマニュアルで素早く解答を出せますが、自分で問題を見つけ仮説を立て、自分で答えを探っていく力が欠けているようです。教える側が教えすぎているからではないでしょうか。上司は辛抱強く「教え惜しみ」したほうが、部下を成長させると思います。
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