人に上手に教えるには、「技術」が必要です。
私は「授業はスイカだ」と考えています。スイカを食べるときは、真ん中のいちばんおいしいところから食べ始めるものです。おいしいからどんどん食べ進め、結局、味が薄い端の部分も全部食べられます。
教えることも同じです。いちばん面白いところから始めるのです。そうして関心を一気に引きつけてから周辺部分も教えるのです。順番どおりにやらなくてよいのです。
ビジネスパーソンの仕事でも、同じことが言えるのではないでしょうか。新人に教える際、簡単な仕事からではなく、面白い仕事からさせるのです。きっと新人は苦労するでしょう。それを先輩がサジェストする。新人は先輩に対して「物知りだな。ありがたいな」と尊敬するようにもなる。そして仕事を成し遂げたら、面白かったからもっと難しい仕事をさせてくれと、自分でどんどん成長していくようになるのです。
自分で成長したと思わせる教師が「教え上手」
教師は「お釈迦様の指」になれるとよいと思っています。
それはこんな話です。あるとき、お釈迦様が天上から人間の世界を見ていた。男の荷車が、ぬかるみにはまって動かなくなっている。誰も助けに来てくれない。自分でやるしかないと、その男が渾身の力を込めて荷車を引いたとき、お釈迦様が見えない指でポンと押して助けてあげる。お釈迦様は「私が押した」とは言いません。困ったときに助けてくれると思わせるといけないからです。
教師も同じです。俺が教えたから子どもは伸びたというのではなく、自分の力で成長したと子どもに思わせる教師が「教え上手」なのです。時が経ち、いつかその子が、自分が成長できたのは先生の「お釈迦様の指」があったからだとわかる、それが教育の本質だという気がします。
私が後輩教師に教えるときも、困っているときに「大丈夫か」とは言いません。「こういうことやってみてよ。面白いよー」などと冗談めかして話をします。実は助け船なのですが、後輩の教師は助けられたとは思わないで話を聞きます。そして実践してみるとうまくいく。そうやって学んでいけばよいのです。
学ぶ側も「技術」が必要です。この人なら間違いなさそうだという人を見つけ、徹底的にその人をまねる。まねているうちに本当の学びになっていきます。私も目当てとする先生がいました。人それぞれ違うから、まねても同じにはなりません。安心してまねてよいのです。まねの上手な人が学び上手なのです。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら