「お釈迦様の指」が教育の本質 教材・授業開発研究所代表・有田和正氏③

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ありた・かずまさ 1935年福岡県生まれ。玉川大学文学部教育学科卒。福岡県の公立校、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学附属小学校などで教壇に立つ。「自ら考え、行動する」子どもを育成して、「授業の名人」と評される。独自の授業方法や教材を開発し、著書は170冊を超える。

人に上手に教えるには、「技術」が必要です。

私は「授業はスイカだ」と考えています。スイカを食べるときは、真ん中のいちばんおいしいところから食べ始めるものです。おいしいからどんどん食べ進め、結局、味が薄い端の部分も全部食べられます。

教えることも同じです。いちばん面白いところから始めるのです。そうして関心を一気に引きつけてから周辺部分も教えるのです。順番どおりにやらなくてよいのです。

ビジネスパーソンの仕事でも、同じことが言えるのではないでしょうか。新人に教える際、簡単な仕事からではなく、面白い仕事からさせるのです。きっと新人は苦労するでしょう。それを先輩がサジェストする。新人は先輩に対して「物知りだな。ありがたいな」と尊敬するようにもなる。そして仕事を成し遂げたら、面白かったからもっと難しい仕事をさせてくれと、自分でどんどん成長していくようになるのです。

自分で成長したと思わせる教師が「教え上手」

教師は「お釈迦様の指」になれるとよいと思っています。

それはこんな話です。あるとき、お釈迦様が天上から人間の世界を見ていた。男の荷車が、ぬかるみにはまって動かなくなっている。誰も助けに来てくれない。自分でやるしかないと、その男が渾身の力を込めて荷車を引いたとき、お釈迦様が見えない指でポンと押して助けてあげる。お釈迦様は「私が押した」とは言いません。困ったときに助けてくれると思わせるといけないからです。

教師も同じです。俺が教えたから子どもは伸びたというのではなく、自分の力で成長したと子どもに思わせる教師が「教え上手」なのです。時が経ち、いつかその子が、自分が成長できたのは先生の「お釈迦様の指」があったからだとわかる、それが教育の本質だという気がします。

 私が後輩教師に教えるときも、困っているときに「大丈夫か」とは言いません。「こういうことやってみてよ。面白いよー」などと冗談めかして話をします。実は助け船なのですが、後輩の教師は助けられたとは思わないで話を聞きます。そして実践してみるとうまくいく。そうやって学んでいけばよいのです。

学ぶ側も「技術」が必要です。この人なら間違いなさそうだという人を見つけ、徹底的にその人をまねる。まねているうちに本当の学びになっていきます。私も目当てとする先生がいました。人それぞれ違うから、まねても同じにはなりません。安心してまねてよいのです。まねの上手な人が学び上手なのです。

週刊東洋経済編集部
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