本当の実力がつくように教えるには、知識を教えるより前に、どんな体験をさせるかが重要です。知識を教えれば「学力」はつくかもしれません。しかし、体験させたことは「実力」になります。
私が東京の筑波大学附属小学校に九州から赴任してきた最初の年のことです。子どもたちに「先生の授業は面白くない」と言われてしまいました。「僕たちに意見ばっかり言わせて、肝心なことを教えてくれない」と。
そこで調べる学習に切り替えました。教室の隣がトイレだったので、「隣に便所があるね。この便所には便器が何個あるだろうか」。さらに授業の最後に「学校全体ではいくつ便器があるのだろうか」と言ったら、休み時間に生徒たちが学校中に広がって、数を調べてきました。
現場での体験が重要
面白がり始めたので新宿駅、東京駅にも行って、便器の数を調べました。すると乗降客数は新宿駅のほうが多いのに、便器の数は東京駅のほうが多いことがわかりました。
ここでの学習のテーマは水です。便器の数と乗降客数は正比例しませんでした。が、便器の数と水の使用量は正比例していました。そして水をいちばん使う駅はどこだろう? 水をいちばん使う場所はどこだろう? と調べる学習を進めました。
こうして子どもたちは調べる、考えることの楽しさに目覚めていきました。自分の目で見て、自分の足で調べた知識は、体の深いところに蓄積され、生涯忘れない「知」として血肉化します。人に教わった知と自分で調べた知とでは、重みも深さも寿命の長さも違ってくるのです。
ミカンの学習では遠足を活用しました。ミカン狩りをしてミカンを食べた後、段ボールを拾ってきて山の斜面を滑り始めました。「海が見える」「風がなくて暖かい」。子どもたちはいろいろなことに気がつきます。教科書で「ミカン畑は、防風林で囲まれ、海に面した山の南斜面が適しています」と100回教えるよりも、ミカン畑を1回滑らせる体験のほうがよほど深く学べます。
現場での経験や行動が増えると、学ぶことは「遊び」に近づき、自然と面白く感じられるようになります。そして現場へ出て行くことに積極的になります。大人も同じです。現場で見る、聞く、話す、触れる体験をさらに重ねれば、見る目も肥えて、物事を広くとらえ、深く考えられるようになります。インターネットなどを使った効率的な方法では得られない、さまざまなことを現場では学べます。情報過多の時代だからこそ、現場での体験が重要なのです。
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