だが考えてみて欲しい。オンラインになってまでこれまでのようにマークシート試験を続ける必要がどこにあるのだろうか。論述系問題を中心にオンライン試験を構成すれば、カンニングは実質的に意味をなさなくなる。
手のひらのデバイスでいつでもどこでも情報を検索でき、人工知能などのデジタル技術の活用も進む中、知識そのものよりも思考力や判断力、応用力が問われる時代になっている。入試自体もそうした力を問うものへと変化していくべきだ。
また、試験の「同時開催」の意味もなくなれば、特定の日時に指定の場所に物理的に到着していることが要求される試験制度を「日程に幅を持たせた試験期間」へと変革できる。試験制度も複雑難解なものから、間口を広げたシンプルな構成に転換できる。これは受験生にとって併願を容易にし、大学の選択肢を増やせる大きなメリットがある。受験生がベストコンディションで試験に望める仕組みのほうが、現在の日時指定型よりも公平な受験制度ではないだろうか。
「どんな学生を育てたいか」が重要になる
海外に目を向けると、欧米はバカロレアがあり、カリキュラムに沿った授業を受け、試験に合格(ディプロマ)することによって、大学進学においても一定の能力証明がなされる仕組みが存在する。日本でも同じようなことが実現できれば、大学にとっても「自学で育成したい学生を見極める」という点でメリットは大きく、前述した「自学の再定義(人材のFromとTo)」という本質的なテーマに結びついてくる。
各大学はいま、戦略的に教育の「実」を変えなければならない。それはいわば、大学ごとに異なるであろう「人材を輩出したいマーケットの定義」「そのマーケットのポスト・コロナ時代のありよう」「マーケットからの人材育成(教育)に対する要請」といった“問い”に、今まで以上にクリアに答えられることが求められているのである。
保護者にとっては「我が子がどのような人材に成長するのか」を具体的にイメージできるかどうかは、上記の“問い”にその大学がどのように答えているか次第。この問いへの回答が明瞭である大学は、ポスト・コロナ時代において競争力のある強い大学だと言える。これらの情報は保護者にとって、我が子を入れたい大学が、どれだけ教育改革を“自分ゴト”として取り組んでいるかを判断する材料となるだろう。
次回は、大学を取り巻くより大きな社会の変化として、「学歴社会から『学習歴社会』へ」と題して大学教育と人材育成の未来像を紹介したい。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら