筆者は、昨今のいくつかの「資本主義批判」が気になっている。現状を資本主義だとして、このままの形で守りたいわけではないのだが、議論が急所から外れている点の居心地が悪いのだ。
気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ。白井聡『武器としての資本論』(東洋経済新報社)と斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)だ。両著はテイストが大きく異なるが「考えながら再読して楽しい」類いの良書で共にお勧めできる。
白井氏は「永続敗戦論」で示した、日本が所詮アメリカの子会社のような存在でしかない現実を的確に指摘していた点で小気味よい議論を展開した方だ。
直近を振り返ると「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった。「親会社」の社長的存在であるトランプ大統領に対して徹底的に機嫌を取る努力をした安倍前首相は、子会社の社員たる日本国民に対して、彼にできる最善の努力をしたのだろう。
一方、斎藤幸平氏は、最近人気の哲学者マルクス・ガブリエル氏へのインタビューなどでも注目されており、またカール・マルクスの研究者として、マルクス晩年の思索についてこれまで知られていなかった(少なくとも筆者は知らなかった)刺激的な文献解釈を発表している。
資本主義と経済成長を捨てるべきか?
白井氏が激賞している斎藤氏の著作の議論を追うと、そこには先鋭的な資本主義批判がある。
詳しくは斎藤氏の著作に当たってほしいが、同氏は気候変動問題の決定的重要性を説く。地球環境の問題を考えると、環境投資での経済成長を説く「グリーン・ニューディール」(同書の呼び名は「気候ケインズ主義」)も、環境技術の発達に期待するジオエンジニアリングも、経済政策としてのMMT(現代貨幣理論)も、「危機を生み出している資本主義という根本原因」を維持しようとしている点でダメなのだという。
「経済成長と気候変動問題が両立すると考えること」がそもそも甘いのだと指摘し、資本主義は経済成長を求めるので、「資本主義と経済成長を捨てた経済社会運営が必要だ」と主張している。こちらもなかなか小気味いい書きぶりだ。
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