ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの

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縮小

ついでに株式投資の話をしておくと、経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている。

こと環境に関しては、経済全体として、環境コストの負担が正しくビジネスに課金されるなら、投資は当面縮小するかもしれない。しかし、その場合でも、資本は「リスクに見合うリターン」があると資本家が判断したビジネスに投資され、その投資の大きさは調整されるはずだ。もちろん資本家は「強欲」でありうるが、強欲な経済主体がつねに無謀なギャンブラーである訳ではない。金持ちは案外冷静だ(「金持ち喧嘩せず」と言うではないか)。

斎藤幸平氏の著書で、自身が提唱する「コモン」に関連して「ひとまず、宇沢弘文の『社会的共通資本』を思い浮かべてもらってもいい」とひとことあっさりと触れられているので、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)を見ると、「地球環境」の章で定常状態と経済発展はジョン・スチュワート・ミルが可能であることを示しているとの言及がある。「安定的な経済的条件のもとでゆたかな、人間的社会が具体化されている」(p221)とある。

同書は、農業、国土のインフラ、都市、教育、医療、金融、地球環境などを「国家にも市場にも明け渡してはならぬ」となかなか格好のいい主張を述べる。社会的共通資本として専門的知見を踏まえてコミュニティーが管理すべきだというのだが、斎藤氏も宇沢氏も、現実的にワーク(機能)しそうな意思決定と社会運営の方法を提示しているとは言いがたい。

ちなみに、宇沢氏が著書で地球環境問題での対策として圧倒的に推しているのは「炭素税」だ。グローバルな貧富の差を調節するために1人あたりの国民所得に比例的に調整された炭素税を課税するといいというアイデアは納得的だ。これは、環境に対する費用を内部化することによって、資本主義を機能させようとする考え方だ。尚、ここで、「資本主義」とは、「私有財産の自由な売買に基づく競争システム」(F.A.ハイエク『隷従への道』から)といった程度の意味だ。

資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題

今の日本では、社会的同調圧力を使った疑似社会主義的計画経済がしばし可能なのかもしれないが、新古典派経済学を激烈に批判した宇沢氏も計画経済を推しているわけではない。

専門家の知見とメンバーの熟議を経て「エッセンシャルな活動」を実現すべくコミュニティーを運営すると考えても、例えば、食料・医療は「エッセンシャル」だろうが、何をどの程度望むかは人によるし、数多ある分野の財やサービスに関して資源や労働の配分に関する「計画」の合意を形成する手続きは容易ではない。ビッグデータと計算機を使うとしても、結論の選択プロセスは独裁的なものに近づくのではないか。

個人の自由な選択の余地を残しながら、資源配分や生産活動を決定する仕組みとしては、先のハイエク的な意味での資本主義を使うのが、現実的で且つメンバーにとっても納得感がある方法ではないか。

結局、「資本主義」が問題なのではなく、その使い方が問題なのだろう。
もちろん、現在のままの資本主義がいいと言っているのではない。「炭素税」のように環境に対するコストを内部化する仕組みは是非必要だし、例えば大規模なベーシックインカムの導入を行って、弱者に優しい経済と資本主義的経済選択を両立させようとする「もっと優しい資本主義」が可能なはずだ。

ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営なのではないかという平凡な結論に行き着いた。資本主義は、結構しぶとい(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

次ページここからは競馬コーナー。「伝統のG2」毎日王冠の勝ち馬は?
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