ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの

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経済成長と気候の関係については研究と議論の余地があるとしても、この本の議論の中で筆者が気になったのは、「資本は無限の価値増殖を目指す」(「が、地球は有限である」と続く。p37)という「資本」に対する見方だ。「無限の経済成長を目指す資本主義」(p118)、「資本とは、絶えず価値を増やしていく終わりなき運動である」(p132)といった表現もある。白井氏の著書にも「増えることそのものが資本の目的なのです」という言及がある。

同じ前提に立つ「違和感のある議論」の別バージョンとしては、人口減少などで経済成長に限界が生じるので、あるいは新興国の経済発展によって成長のために搾取できるフロンティアが減ったので、資本主義は早晩行き詰まるといった種類の議論もあった(10年くらい前の、民主党政権時代にはやった)。

いずれにあっても、「資本」はつねに増殖を目指すので、経済成長がないと資本主義は立ちゆかないということが前提とされた議論だ。しかし、果たして、「資本」とは、経済成長を「食料」として無限に大きくなろうとする一個の生き物のような存在なのだろうか。

「単なるお金」としての資本

資本主義に対する批判者あるいは悲観論者は、「資本」がそれ自体の意思を持って動く抽象的でも具体的でもある単一の生命体のように思っているのではないか。まるで、資本という怪物がいるかのようだ。

しかし、彼らは、資本が単にその所有者が自由に処分できる「お金」にすぎないことを忘れている。資本のサイズは、消費とのバランスを比較しつつ、生身の経済主体がこれを決定する。

資本の具体的な形は、企業の設備だったり、無形の権利の価値だったり、運転資金だったりするのだが、資本家はこれらを少なくとも部分的には換金して処分できるので、資本はおおよそお金として機能する。そして、資本家は単なるバカではない。投資の収益の見通しやリスクの判断によって、自分の財産をどう使うかを決定する。

資本家は、自分が資本から得た利益を、再投資し続けることもできるが、消費してしまうこともできる。売り上げの減少が予想されるなら、設備への更新投資を減らすこともできる。いい投資機会がないと判断するなら、物を買うなり、飯を食うなり、目立つために使うなり、「GO TO 蕩尽!」が可能なのだ。ついでに言うと、人口減少経済では、資本家の人口も減少することを考えに入れておこう。

株式会社は、持っている資本を、いい投資機会があれば再投資すればいいし、リスクに見合う投資機会を見つけられなければ配当なり、自己株買いなりで株主に返すことができる。

投資される資本の量は資本家の判断によって調節可能なのだ。仮に、企業活動の環境に対する悪影響に対してかなり高いコストを支払わなければならないとすると、あるいは今後の経済が成長する見通しがないとすると、企業はビジネスを縮小して株主にお金を返すことを選択できる。

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