太田光「オワコンと呼ばれるテレビの真の凄み」 なぜ俺はテレビの仕事にこだわりがあるのか
ネットよりは対価を払ってもらっているからまた別なすごさがあるけど、数字上だけで言うのなら、小説のベストセラー100万部も100万人が見た映画もテレビ視聴率にしたら1%ではある。そういう意味で、なにかにつけて取り上げられる視聴率は、テレビの難しさと潔さを体現していると思う。
それでまた、昔からずっと言ってるけど視聴率は本当に難しい。誰かが視聴率の取り方を教えてくれるって言うのなら、もうね、ウンコを食べてもいいから(笑)。いっぽうで、数字が悪けりゃ打ち切りになるのは潔いし平等だとも言える。
しかも、そんなコンテンツが、スポンサーのお金をもとに作られているから、視聴者にとっては無料というのもいい。コンテンツが多様化するいまの時代でも、そういったテレビのよさはダントツにすぐれていると思う。
30年以上、テレビのことを考えなかった日はない
それこそテレビが全盛期の頃、向田邦子さんという天才がいた。俺が彼女を尊敬するのは、その文才はもちろんだけど、「私はテレビ屋である」というスタンスを最後まで貫いたところにもある。
向田さんは「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」という短編小説の連作で直木賞を受賞するんだけど、小説って、たったひとりで書くから孤独な作業なわけでしょ? だからなのか、向田さんは「テレビの現場に来るとほっとする」とエッセイで綴っていたり、「私はテレビ屋である」とした。
その感覚が俺にはものすごくわかるんだけど、テレビのいいところは共同作業にあるから。収録現場には、カメラマンがいて音声さんがいて照明さんがいて、プロデューサーがいてディレクターがいて、MCもいればほかの出演者もいて、そんな演者を支えるスタイリストがいてメイクさんがいる。
VTRを作るまでには、その演者やスタッフがいて、間に流されるクライアントのCMにも多くのクリエイターや演者や裏方さんがかかわっている。予算のかかっているゴールデンの番組ならば、それに見合った視聴率を求めてみんなが必死になるし、お金のない番組だったらみんなで知恵を出しておもしろくしようとする。
さまざまな立場のいろんな人が共同作業しているというのは、本当にすごいことだと思うし、MCという立場が多い爆笑問題の考えるほう担当としては、毎日毎日30年以上、テレビのことを考えなかった日なんて1日もない。田中はああいう男なので、毎日毎日30年以上、テレビについて考えたことが1日もないんだろうけどね(笑)。
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