高次脳機能障害は、すぐにリハビリをすれば多少は回復することがあるため、大学病院を退院後はリハビリセンター付属病院に移り、2カ月間入院して生活支援のためのリハビリを受けたが、一度損傷を受けた脳はあまり回復することはなかった。
地方公務員に転職
新田家はもともと共働きだった。夫が脳腫瘍になる前は、夫のほうが残業が多かったため、新田さんが家事育児を担っていた。
脳腫瘍が発覚したとき、新田さんがまず最初に襲われた不安は、生活のことだった。
当時はまだ長女が高校2年、次女が小学5年。新田さんはパート(非正規公務員)で働いてはいたものの、年収は200万円もない。
そこで新田さんは、収入を上げるために転職活動を開始。新聞に公務員試験の募集記事が載っているのを見つけ、即申し込みをする。
試験まで1カ月ほどしかなかったが、仕事後帰宅し、一通り家事を終えると、毎晩公務員試験の問題集を解いた。数学が苦手な新田さんは、高校生の長女に解き方を教えてもらった。
そしてみごと合格し、翌年、地方公務員(行政事務)に転職。
しかし、経済的な安定は得られても、パートタイムからフルタイムに働き方が変わったため、仕事の責任は重くなり、残業も増え、介護・育児と仕事の両立に悩む。
「私の父は11年前に亡くなっており、母や妹は心配はしてくれていますが、母は昔から体が弱く、病気がちなので頼れません。妹は2人の子どもがまだ小さく、育児でいっぱいいっぱいです。夫の親やきょうだいの協力はほぼ得られず……。
たった1人でダブルケアをこなす心身ともに苦しい状態が続き、ものすごく孤独でした。でも、介護も育児も仕事も待ってくれません。『誰か助けて!』といつも心の中で叫んでいました」
新田さん夫婦は当時40代。周囲に介護をしている人はおらず、ダブルケアのつらさに共感してくれる人はまったくいなかった。
「悩みを相談する相手はなく、さらに“娘たちの父親代わりにならなくては”というプレッシャーや責任も加わり、押し潰されそうになっていました」
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