フォークソングを愛する人に甦る全盛期の記憶 社会現象には背景があり、歌にも行程があった
フォークソングが教えてくれた
“フォーク”という言葉を口にするたびに、どこか感謝の気持ちが湧いてくる。それは、フォークソングが自分にとって、いちばん慣れ親しんだ音楽だからだろうか。フォークソングから学んだことは計り知れない。
物事の見方や恋愛のありかた、そして人生の指針までも、フォークを通してさまざまなことを教わった。そんな人も多いのではないかと思う。
いろいろな思い出が、歌とともに景色のように目の前に浮かんでくる。このように自身のクロニクルと密接に連動しているのが、フォークの特徴ではないか。受け身として耳にしていただけではなく、ギターを奏で歌った音楽だからこそ、そう思えてくるのに違いない。
時代の動きに機敏に反応するのもフォークソングだ。1969年の新宿西口のフォークゲリラの登場や、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」の大ヒットなど、大きな社会現象となったトピックを取り上げたが、それぞれの事象にはそれぞれの背景があり、歌が世に出ていくまでにはさまざまな行程がある。
フォークソングは最初、それほど大きなものではなかった。時代の代弁者ではあっても、大きく人を動かすものではなかったように思う。それが変わり始めたのが、1971年に中津川でおこなわれた全日本フォークジャンボリーであり、1975年の吉田拓郎(当時の表記はよしだたくろう)とかぐや姫によるつま恋コンサートになるだろう。
今では大規模な野外コンサートや、ドームでの連続ライヴなどまるで珍しくはないのだが、当時はまったく基盤のないところからハンドメイドで作りあげていった。それが1970年代であったように思う。
レコードの売り上げという意味においては、吉田拓郎の「旅の宿」、南こうせつとかぐや姫の「神田川」などが、フォークソングのシングル盤としては異例なほどの大ヒットを記録。その念押しとなったのが、井上陽水のアルバム『氷の世界』で、アルバム単位では日本のレコード史上初めて100万を超えるビッグなセールスをうち立てた。そして、“フォークが売れる”時代が始まっていく。
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