フォークソングを愛する人に甦る全盛期の記憶 社会現象には背景があり、歌にも行程があった

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フォークソングはジャンルを超越して、日本の音楽として広まっていった。このフォークブームに歌謡曲サイドも反応し、フォークソングのテイストを持った歌謡曲も数多く生まれてくる。天地真理の1971年のデビュー曲「水色の恋」はまさにそんな曲だった。天地は久世光彦が演出したドラマ「時間ですよ」で人気を得たのだが、番組の中ではいつもギターを片手に弾き語りをしていた。

「てんとう虫のサンバ」でお馴染みのチェリッシュは、もともと五人組でフォークコンテストの出身。1971年に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューした後に、二人組の男女デュオとなり歌謡ヒットを連発していく。フォークソング色をもった曲としては他に、太田裕美「木綿のハンカチーフ」などがあるが、布施明が小椋佳作詞作曲の「シクラメンのかほり」で第17回日本レコード大賞を射止めたのは1975年のことだ。

一般の聞き手の感覚としても、どこまでがフォークソングで、どこからが歌謡曲なのか、その分水嶺が判らなくなっていったのではないかと思う。ちょうどその頃使われはじめたのが、ニューミュージックという言葉だ。単純にこの言葉を日本語にすれば「新しい音楽」。これならば、どんな新しい音楽でも当てはめていくことができる。

そしてニューミュージックの時代へ

ニューミュージックという言葉の発祥には諸説ある。1969年に、中村とうようによって創刊された雑誌の名前が「ニューミュージック・マガジン」であった(1980年に「ミュージック・マガジン」に改名)。また、荒井由実(松任谷由実)が出てきたときに、彼女のような新しいタイプの日本のポップスを形容する言葉として、ニューミュージックが使われた。現在でいえば、シティポップがそれにいちばん近いだろうか。

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語原はともあれ、フォークソングというくくりでは収まりきらない、よりポピュラリティーをもった日本の音楽=ニュー・ミュージックであり、その現実的な起点は、吉田拓郎、井上陽水、南こうせつにあったと言っていいだろう。

ニューミュージック期に入ってからのフォークソングは、所属レーベルから音楽的なバックグラウンド、そしてデビューの仕方などそれぞれが異なり、区分けするのが難しくなっている。その雑多性が、新しい音楽(ニューミュージック)の特性でもあるのだ。

あえて言うならば、シンガーソングライター的な要素が色濃くなったことだろうか。吉田拓郎や南こうせつのように、作詞を外部のスタッフに頼ることはあっても、基本は自作自演だ。その個人的な歌が、時代の潮流になっていった。

小川 真一 音楽評論家

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おがわ しんいち / Shinichi Ogawa

ミュージック・マガジン誌、レコード・コレクターズ誌、ギター・マガジン誌、ロック画報などに寄稿。共著に『日本のフォーク完全読本』(シンコーミュージック・エンタテイメント)『ジェネレーションF 熱狂の70年代×フォーク』(桜桃書房)ほか多数。

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