仕事がつまらないと思う人は「見方」を知らない 自分を卑下しているとその通りになってしまう
つまらない仕事を遊びに変えられたら?
イアン・ボゴストは、「遊び」について研究している。彼はジョージア工科大学のインタラクティブ・コンピューティングの教授で、最新の著書は、『どんなことでも遊びにする(Play Anything)』である。その本で彼は、楽しさや遊びについての常識に異を唱える大胆な主張をいくつか展開した。例えば、「遊び(fun)は、多くの(あるいは、いかなる)喜び(enjoyment)を含まなくても、遊びになりうる」と彼は言う。どういうことだろうか。
遊びは楽しく感じられるべきではないのか。そうとは限らない、とボゴストは言う。「遊びがどう感じられるべきかという既成概念を捨てることで、私たちは心を開き、仕事を新たな角度から見ることができるようになる。どれほど困難な仕事にも、遊びの要素はある。それらの遊びは楽しいものとは限らないが、私たちを不快な思いから解放してくれる」。ここで忘れてはならないのは、不快な気分からの逃避が注意散漫の重要な要素であることだ。
困難な状況では注意散漫に陥りやすい。しんどくて、集中力が必要で、それでもやらなければならない仕事を、遊びのようなものに変えられたら、どれほどありがたいことか。
テレビやソーシャルメディアなどの、営利目的の無数の「気を散らすもの」は、スロットマシンのような「可変報酬」を使って、私たちを新奇な刺激にさらし続ける。しかし、こちらも同じ方法を使って、どんな仕事もより楽しくより魅力的なものにできると、ボゴストは主張する。メディアに夢中になるのと同じ神経回路を活用すれば、楽しくない仕事にも、集中して取り組むことができる。
ボゴストは、その例として、芝刈りを挙げる。彼はそれを好きになるすべを学んだ。その方法は以下のとおりだ。
「まずその仕事に、途方もないほどの強い関心を向ける」
ボゴストの場合は、芝の生え方と手入れの仕方について、できる限り多くの情報を入手した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら