東大野球部・前監督が選手に伝えた7年間の金言 万年最下位チームを率いた男が持ち続けた矜持

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筆者は以前、東京大学野球部のコーチを務めた桑田真澄氏から「東大生は頑張りすぎる」と聞いたことがある。

「努力をしすぎるのは、ゴールとの差を埋めるためにどれくらいやるべきかを突き詰めて考えると、一か八かのところが出てくるからです。肩を大事にして4年間終わるのか、ひょっとしたらぶっ壊れるかもしれないけど覚悟をして頑張るか、ということになる。

なぜなら東大生は『自分の野球人生はここで終了』という感覚でやっている。将来投げられなくなるという心配はしない。甲子園で燃え尽きるのと同じですね。僕は、それぞれの人がそう思うのは自由だと思います。それを強要したら“昭和の野球”になってしまいますが……」

連敗中と「勝ってから」の差

監督時代には、東京六大学記録の「94連敗」も経験した。

「100(連敗)というのは、大きなプレッシャーでした。すごいことになるという感覚がありました。連敗は2015年5月23日の法政大学戦でストップしましたが、1つ勝ったあとの選手は変わりました。

連敗中は『先制点をとっても、いつ逆転されるか』と思っていましたが、1つ勝ってからは先制すれば『よっしゃ、これでいける』と思うようになった。ここがものすごく違うんですね。やはり野球は勝利を求めないと楽しくない。これも、選手が勝利を求めれば“楽しみ”ですが、監督が選手に強要すれば“パワハラ”になりかねません」

この時期から、毎年勝ち星が上がるようになってきた。

「このころから体の大きさが変わってきましたね。就任してから3年かけて『勝ちたければ食え』をチーム全体の文化にした。食育は、文化にしないと必ずさぼる人が出てくる。

これも監督が『食え』と強制すればパワハラになる。でも『食べて体が大きくなると勝てる』と学生が理解すれば、進んで食べるようになる。選手がどこまで納得しているかが大事ですよね。選手の身体が大きくなって勝てるようになってチームは変わりました」

連敗阻止の翌2016年春には、宮台康平投手の活躍もあって3勝を挙げる。

「勝てるようになった2つ目の要因が宮台です。彼は神様からの贈り物みたいなものですね。入学したときに、太ももが65センチくらいあった。普通の東大生は50センチ台です。

たまたま、ああいういい選手が入ってきて、エースになると、周りの士気も意識も変わります。エースが一人できると組織が変わるんです。そのタイミングと食育文化の醸成があって、東京大学は勝てるようになったんです」

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