「おれの息子が普通でないはずがない。検査なんて必要ない!」と、許さなかった。
検査をしないと学校に伝えると、学校から毎日のように連絡が入るようになる。
「“今日はこんなおかしい行動がありました”“今日はここがヘンでした”“学校での様子を見に来てください”と、毎日毎日言われるんです。電話が鳴るのが怖くなりました」と香さんは振り返る。
一人授業参観のように、香さんだけが教室で様子を見学する状態も続いた。
子どもの発達障害について、親が受け入れられないケースが多いという話は教育関係者からよく聞くが、山内家の父親はまさにその典型のようにも見える。
教員たちも慣れないことで、緊張の日々が続いていたのだろう。ある日、教科担当の教員が哲平君に暴言を吐いてしまう。
手のかかる哲平君の席は教卓の前。授業中に隣の友達と小声で話をしていたところ教員から注意された。哲平君が口答えをしたのだろうか、教員は「おめーが普通じゃないんだよ!!」と、哲平君の机を蹴ったというのだ。
後日、学校側との話し合いの場において示されたのは「口調はそのような言い方ではなかった」というものだったが、哲平君の耳には強烈にそう響いた。
不登校になり、家庭内で不満を爆発させるように…
哲平君は学校に行きたがらなくなり、ある日、電車に乗ったまままったく違う駅に降り立ち迷子に。たまたま電話が取れなかった香さんに代わり、学校側は父親の勤務先に連絡を入れた。哲平君を見つけたのは父親だった。哲平君はその後、さらに学校を休みがちになった。
「お父さんに言われたからこっちの学校を選んだけれど、自分はどちらでもよかったんだ!」
好きな部活動にも参加できず、教師からは変人扱いされる学校。哲平君は家の中で、不満を叫ぶようになっていった。
結局、父親が検査を許可したのは秋も深まる季節だった。
11月から各種検査を受けはじめ、結果が出たのは翌年の1月、診断はADHDだった。診断結果を学校に知らせると、中学は卒業できたとしても、付属高校へは上がれないと宣告を受けた。「クビ宣告ですよね」香さんはそう表現する。
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