香さんは急いで受験塾を探した。入塾したのは臨海セミナー。しかし、手応えはいまひとつ。そこで、夏期講習は地元では有名な個人経営の塾に。だが、夏休み明け前の面談で「うちでは引き受けられない」と塾側から言われてしまう。理由は、宿題をやってこないからというものだった。
「学校の宿題をやりつつ、うちの塾の受験勉強についていくのは難しいと言われました。今の私立小をやめて、公立小に移るのなら引き受けますということだったので、さすがにそれはきついと、諦めたんです」
臨海セミナーに通うことにし、中学受験へ突入した。母親の香さんも必死だ。がんとの闘いも続くなか、自宅から1時間圏内の学校はすべて見学するつもりで回った。
5年生の夏休みから足を運んだ学校数は26校にも上る。その中から選んだのはやはり大学の付属校。本人の「共学校がいい」との希望も考慮し、志望校を選んだという。
5年生の夏期講習以降、成績も安定し、十分に中学受験に立ちむかえる学力をつけていた。志望校に据えたのは難関私立大学の付属校と、推薦をもらえなかった現在通う小学校の系列校など6校。
父母間で食い違う意見
結果は第一志望の明治大学付属明治以外はすべて合格。ここで、父母間で意見の対立が起きる。
母親の希望としてはもともと在籍してきた小学校の系列校に行かせたかった。ところが父親は、それに反対。別に合格をもらった難関私立大の付属校のほうがネームバリューや総合大学だという点で勝っているというのだ。
「元の系列校なら、小学校から息子を知っている子たちが一定数います。私は、その中で暖かく見守ってもらうほうがいいと思ったのですが、結果的に夫の意見に従う形になりました」
この決断が誤っていたと気づくのは、入学してすぐのことだった。入学後、GW開けには毎週のように学校から電話がかかってくるようになった。
「お宅の息子さんは普通じゃありません。検査を受けてください」
学校側からの電話は、大筋この内容だった。この学校も宿題が多く、哲平君はそれをこなせていなかった。そのために大好きな部活動にも参加できない状態が続いていた。
哲平君は小学生の頃からブラスバンド部に所属、パーカッションを担当しており、かなりの腕前になっていた。中学でも演奏ができる部に入部したが、同校には宿題が終わらなければ部活動に参加できないというルールがあったのだ。
「試験を受けるのは大好きで、中学受験のときも模試は苦になることはなく、どちらかというと“もっと受けたい”と思うタイプで、得意だったんです。でも、普段の学校ではノートを取ることが苦手で、宿題をやるのも難しかったのだと思います。
小学生の頃は学校の手厚さのおかげで、幼少期にボーダーだと言われていたことが見えにくくなっていたのかもしれません……」
学園祭で部活の公演を見に行くと、哲平君だけが舞台の隅で立っていた。部活への出席が少なかったため、パートを与えてもらえなかったのだ。
学校側は「とにかく検査を」という。香さんはすぐにでも受けさせたかったが、ここでも父親が立ちはだかった。
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