春季キャンプの紅白戦では、記録スタッフが機器を使って球速やさまざまなデータを取っている。顔見知りの大学院生がアルバイトで計測をしていたが、彼は「データを取って職員に渡すのが僕らの仕事なんですが、選手上がりの職員はパソコンが使えないんで、結局、僕らが遅くまで残業して報告書を作ることになるんです」と嘆いていた。
日米の野球の「価値観」の違いを象徴的に示しているのが「沢村賞」と「サイ・ヤング賞」だろう。ともにシーズン最高の投手を選出するというものだ。
沢村賞には「25登板、10完投、15勝、勝率6割、200イニング、150奪三振、防御率2.50」という基準がある。「先発完投がエースの責任」という昭和の時代からの価値観がそのまま残っている。
2018年は、この7項目をすべてクリアした巨人の菅野智之が受賞したが、2019年は4項目をクリアした投手が2人いたが該当者なし。沢村賞の堀内恒夫・選考委員長は「賞のレベルを下げたくない」と語った。
サイ・ヤング賞には数値的な基準はないが、前述のとおりWARが重視される。ナショナル・リーグのサイ・ヤング賞は2018、2019年と10勝、11勝しか挙げていないメッツのジェイコブ・デグロムが連続受賞した。両年ともに最多勝は18勝だったが、アメリカの記者は勝ち星などではなく、WARの数値が高いデグロムを選んだのだ。
日米では野球の価値観が大きく変わってしまっているのだ。
進化する野球にふさわしい「言葉」と「数字」
昨年の「球数制限」論争でも、野球関係者は「データ」に強い拒否反応を示した。そして、「甲子園はそんなもんじゃない」「苦しさに耐え抜くことで鍛えられる」のような「あるべき論」や「精神論」を口にした。
プロ野球でも「9回完投してこそ投手」「つなぐ野球が基本」「エースの責任、4番の責任」など、精神論がまだ幅を利かせている。セイバーメトリクスは一部には愛好者がいるが、解説者やメディアでこれを理解している人はほとんどいない。
先日も巨人の原辰徳監督が野手登録の増田大輝を登板させたことで、古いOBから「相手打者に失礼だ」「巨人の伝統に反する」などと非難が集中した。しかし、今季の厳しい日程を考えれば、投手を温存したいと考える原監督の判断は的確だった。
MLBでは当たり前の戦法であるし、ファンにしてみれば「珍しい」と喜びこそすれ、問題視する人など、ほとんどいないはずだ。
野球は昭和の時代にナショナル・パスタイム(国民的娯楽)になった。その栄光が忘れられない「昭和頭」の野球人たちが、いまだに「伝統」や「精神論」を振り回している。若い人には理解しがたい、こうした権威主義が「野球離れ」に拍車をかけている側面は否定できない。
「野球記録」の世界は、野球という競技のさまざまな一面を見せてくれる。凝り固まった野球の価値観に、違う面から光を当ててくれる。野球人・ファンの視野を広げる意味でも、野球データがもっと普及してほしいと思う。
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