大リーガー日本復帰で再燃「田澤ルール」の是非 世界一にも輝いた名選手を縛る"足かせ"

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2008年、レッドソックス入団会見に臨んだ田澤(右)と当時のエプスタインGM(写真:ロイター/アフロ)

ボストン・レッドソックスやマイアミ・マーリンズ、ロサンゼルス・エンゼルスなどで活躍した右腕投手・田澤純一が7月13日、独立リーグ・ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズと契約。同日、入団会見が行われた。

筆者は「いよいよこのときが来たか」という感慨を覚えた。

メジャーリーグ(MLB)で9年間・388試合に登板し、21勝26敗4セーブ89ホールド、防御率4.12。2013年にはセットアッパーとしてレッドソックスの世界一にも貢献した。今季はレッズのマイナー組織にいたが、MLB機構が今季のマイナーリーグの試合をすべて中止にしたため、プレーをする機会を求めて日本に帰ってきたのだ。

まだ34歳。これだけの実績もある。日本に復帰すれば、国内球団の争奪戦が起こってもおかしくない。

しかし、田澤に声をかける日本の球団はなかった。「日本のプロ野球のドラフト指名を拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、海外球団を退団したあとも一定期間(大卒・社会人は2年間、高卒選手は3年間)は日本野球機構(NPB)所属球団と契約できない」という、通称「田澤ルール」に抵触するからだ。

なぜ「田澤ルール」ができたのか

2008年、社会人野球の新日本石油ENEOS(現・ENEOS)に所属し、都市対抗でMVPを受賞するなど抜群の活躍をしていた田澤純一は、東海大相模高校の大田泰示(巨人、現・日本ハム)、早稲田大学の松本啓二朗(元・横浜DeNA)らと並んで「ドラフトの目玉」と目されていた。

しかし、田澤は早くからMLBへの挑戦を表明しており、同年9月11日に都内で記者会見を開き、大リーグに挑戦すると明言。この場で、NPB12球団に10月30日のドラフト会議で指名しないように求める文書を送付した、と語った。

田澤は前年11月の第37回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップに日本代表として出場。その経験から「チャンスがあるなら世界に挑戦してみようと思った」と明かした。

すでにMLBの5球団が触手を伸ばしていると報道された。NPB側はこれを問題視し、MLB事務局に問い合わせたところ、「一部の球団が先走ったようだが、それはMLBの立場ではない。対立は望まない」との返答を得た。

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