「くるり」を生んだライブハウスが直面する危機 「磔磔」が歩んだ歴史を映像化することの意味

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もともと造り酒屋の倉庫だったというライブハウス「磔磔」(撮影:西岡浩記)

「磔磔(タクタク)は僕ら高校生のときに組んでたバンドで、オーディションみたいなのに出て落とされたりね。落とされて当然のバンドやったけど(笑)。なんかそういうのとかがあって、思い出深い所なんですけど」

「磔磔」というライブハウスの思い出をこう語ったのは、京都出身のロック・バンド、くるりのギター/ボーカル岸田繁。2014年4月27日、磔磔の開店40周年を記念して行われた40日間連続ライブ・シリーズにくるりが出演したときのひとコマだ。

今年で開店から47年を迎えたライブハウス、磔磔。京都・河原町の住宅街に突然現れるその木造の蔵は、もともと造り酒屋の倉庫だったもの。それを音楽好きの若者たちが引き継いで、ロック喫茶としてオープンさせた。国内外のさまざまなバンドの音楽を吸い込んできたこの蔵は、3年前には建築から100年を超えた。

蔵として100年、ライブハウスとしてもうすぐ50年。超ベテランに愛され、若いミュージシャンにとっては一度はライブをしてみたい憧れの場所。磔磔の名は今や全国的に有名だ。

槍玉に挙げられてしまった「ライブハウス」

今年に入って全世界に感染の範囲を広げた新型コロナウイルスの影響は、当然ながら磔磔にも及んだ。運悪く、大阪や東京の「ライブハウス」からクラスターが発生してしまい、感染の温床として行政から名指しで槍玉に挙げられ、悪いイメージも広がっていた。

3月以降、ほとんどのライブが延期・中止となり、全国的な緊急事態宣言の解除後、ようやく無観客でのライブ配信などに着手したというところ。まだまだ、かつてのようにライブを楽しんでもらうのは、やる側にも見る側にとっても難しいことだらけ。この苦境は全国どこのライブハウスでも同じだ。

実は、こんな状況がやってくるとはつゆ知らず、2014年からひそかに磔磔を舞台に撮りためられていた映像があった。

その始まりは、40周年を記念して行われた40日間ライブを特別番組として放送するために、フジテレビを中心とする音楽好きのスタッフが京都に連日泊まり込んで収録した、数十時間に及ぶライブ映像と証言集だった。

その後、計6時間に及ぶ特別番組としてCSチャンネル・ONE TWO NEXTでその記録が放映されたあとも、スタッフたちは折に触れて撮影を続けていた。

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