若きジョブズが描いた「世界を変える」という夢 1人1台「私のコンピューター」を行き渡らせる

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彼が何よりも魅了されていたのはコンピューターと人との接点だった。ユーザー・インターフェイス。それは時として時代や顧客のニーズと合わないこともあった。過剰なこだわりは会社を低迷させ、結果的に本人がアップルを追放される一因にもなった。同時に、アップルというブランドへの根強い人気と信頼を築き上げることにもなった。

いまでもアップルの製品を使うことに、ユーザーは大なり小なりのこだわりをもっている。なかには「信者」と言ってもいいほど強い思い入れを抱いている人もいる。

iPhoneやiPadを使うことは、他社の同じような製品を使うこととは違う体験なのだ。この特別な体験を多くの人が求めたことで、たしかに世界は変わった。いまも変わりつつある。どう変わったのか? いいほうに変わったのだろうか。変化は僕たちに何をもたらしたのだろう。

1975年、コンピューターはパーソナルから最も遠かった

1975年、ホームブリュー・コンピュータ・クラブでジョブズとスティーブ・ウォズニアックが出会い、2人で会社を立ち上げたころ、コンピューターの世界に「パーソナル」という言葉はなかった。それどころかコンピューターはパーソナルからは最も遠い世界のものだった。

現代型のコンピューターの特性を備えた世界初の機械は1945年11月に完成したENIACと言われている。「Electronic Numerical Integrator and Computer」は直訳すると「電子式数値積分計算機」となる。その目的は対ドイツ戦でヨーロッパに配備される大砲の弾道を計算することだった。

普通の人が家で使えるコンピューターという意味での「パーソナル・コンピューター」というコンセプト自体は、1945年にはすでに現れている。

「1人前の大人になるということは、 耐え抜いた困惑の量に比例する」ダグラス・エンゲルバート。マウス、マルチウィンドーシステム、ハイパーメディアの生みの親。スタンフォード大学の研究室にて。1989年8月21日(撮影:小平 尚典)

この年、アトランティック誌に発表された「われわれが思考するように」という論文の中で、著者であるヴァネヴァー・ブッシュは現在のパーソナル・コンピューターにつながるビジョンを示し「メメックス」と呼ばれる個人用コンピューターを構想している。マウスの開発者として知られるダグラス・エンゲルバートなどにも大きな影響を与えたとされる論文である(ウォルター・アイザックソン『イノベーターズ』)。

しかし1960年代を通して、コンピューターがパーソナルな方向に発展することはなかった。それはなお巨大かつ高価で、手厚く保守する必要があり、とても個人で所有できるものではなかった。特殊な研究機関で軍事や宇宙開発のためにタイムシェアリング(1台のメインフレームに多くの端末をつなぎ、何人ものユーザーがコマンドを入力することで操作する)で使うものであり、一般人には触れる機会さえほとんどなかった。

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