LSIの登場で電卓の価格は一気に下がり始める。1969年、シャープが世界初のLSI電卓を開発。価格も9万9800円と10万円を切ったことから爆発的なヒット商品となった。
1971年、ビジコンが電池駆動のポケットサイズ電卓を発売。価格は8万9800円。さらに立石電機(現・オムロン)が5万円を下まわる電卓を発売する。たった5年ほどで電卓の値段は10分の1になった。1972年になるとカシオが1万2800円の電卓を発売。このころから電卓業界は価格破壊の様相を呈してくる。今や電卓は100円ショップで売られている。
1976年に村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が出版される。僕は高校3年生で、文学好きの友だちが作品について話していたのを覚えている。さらに時代が下って1979年、村上春樹が『風の歌を聴け』でデビュー。そのころ僕たちはピンボールではなくインベーダー・ゲームに夢中だった。
正式な名前は「スペース・インベーダー」で、タイトーというゲーム会社が発売したアーケード・ゲームである。隊列を成して近づいてくるインベーダーを、左右に動く砲台で撃ち落としていく。いちばん下までおりてくるとゲーム・オーバーだ。そうなる前にインベーダーを全滅させなければならない。だがインベーダーは数が減ると移動速度が速くなってくる。だめだ、占領された!
コンピューターは一緒に遊ぶものでもある
あれはなんだったのだろう。大学3年生の夏休み、僕たちは郷里の喫茶店に入りびたり、氷が解けて薄くなっていくアイスコーヒーのことも忘れて延々と100円玉を投入し続けた。
いまから考えると、インベーダー・ゲームこそ僕たちが最初に触れたコンピューター・ゲームだった。侵略者を動かしているのはもちろんアルゴリズムである。敵はこちらを認識すると攻撃してくる。かなり複雑なアルゴリズムで動いていたのではないだろうか。僕たちはインベーダーと戦いながらコンピューターとも戦っていたのだ。これがのちにチェスのディープ・ブルーやアルファ碁へと進化していくとはつゆ知らず。
もう1つ、僕たちは1979年のインベーダー・ゲームを通して、コンピューターは計算などの実務的な処理を行うだけではなく、一緒に遊ぶものでもあることを体験した。
小型テーブルほどのかさばる代物ではあったが、簡単なグラフィック・ディスプレーを備えており、レバーを動かしたりボタンを押したりという簡単な操作によってプレーすることができた。つまりコンピューターを自分の手でリアルタイムに応答させることができたのだ。