高円寺に「サブカル好き」が多く集まる歴史事情

「中央線沿線に住むこと」が若者の憧れだった

筆者は、彼が札幌に戻って「和田珈琲店」「バナナボート」という喫茶店を経営していた時期に知り合い、「ムーヴィン」について話を聞いたことがある。「ムーヴィン」は8坪ほどの店で、途中からロック喫茶に移行したらしい。新譜が充実していたので、ミュージシャンや音楽ファンが集まるようになったという。

高円寺では「ムーヴィン」を嚆矢(こうし)として、「JIROKICHI」などライブハウスやジャズ喫茶などが次々に登場してくる。このムーブメントが、現在の音楽文化の町、高円寺の基盤になっている。『あのころangle』で、前掲したロフトプロジェクト代表の平野悠が、次のように述べている。

この『別冊angle』が出た1979年頃というと、“中央線文化”が一応終焉を告げて、文化の中心が新宿や渋谷といったターミナル駅に移ったころなんですよね。だから僕は1976年に新宿にロフトを開店したんです。
(『あのころangle 街と地図の大特集1979│ 新宿・池袋・吉祥寺・中央線沿線編』主婦と生活社)

『あのころangle』は、1979年に刊行された『別冊angle』の再編集版で、平野は1971年に千歳烏山にジャズ喫茶「烏山ロフト」、1973年にライブハウス「西荻窪ロフト」をオープン、その後、荻窪、下北沢などにも店舗展開していく。

『あのころangle』には、1979年の高円寺のマップも掲載されていて、記憶に残る店も数多く書き込まれている。南口の「ぽえむ」、北口のジャズバー「アフターアワーズ」は現在も営業を続けているが、南口のジャズ喫茶の「サンジェルマン」「洋灯舎」、北口のジャズ喫茶「ジャンゴ」は姿を消した。

高円寺が「サブカルの聖地」になった理由

ダ・ヴィンチ特別編集『中央線 カルチャー魔境の歩き方』には、みうらじゅんのインタビューが掲載されている。

僕、高円寺にはフォークやロックのディズニーランドがあると思ってたんですよ。拓郎さんの『高円寺』、友部正人さんの『一本道』を聴いて、フォークの人は高円寺か阿佐谷に住むものだと信じてた。(略)
(みうらによる漫画『アイデン&ティティ』の冒頭で)「僕の住んでいる高円寺のアパートはカギがかからない」って言うんだけど、あれが僕の高円寺のイメージなんだよね。理由は別に盗られるものがないから、守るものがないから。バックがないからこそ自由っていうイメージが高円寺にはあった。
(別冊ダ・ヴィンチ編集部『中央線 カルチャー魔境の歩き方』
メディアファクトリー)

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中央線の各駅の周辺は、サロン的な「点」としての場が、複数存在する「面」としてのパワーを発揮していた。これは渋谷、新宿、池袋にも共通するものだが、中央線沿線がそれらの繁華街と違うのは、より居住地としての側面が強いことだ。

場所のダイナミズムとしては、渋谷、新宿、池袋にはかなわないが、生活の場としての利便性の高さや、サロン的な場所と居住する場所が隣接していることが、界隈に魅力をもたらしていた。

みうらじゅんのコメントにあるように、中央線沿線は、カルチャーやコンテンツによって駅ごとにイメージが形成され、それが若者たちへの吸引力になっていた。サブカルチャーが、若者たちの場所に対する憧れを喚起したのだ。

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