高円寺に「サブカル好き」が多く集まる歴史事情

「中央線沿線に住むこと」が若者の憧れだった

中央線文化発信が盛んだった70年代〜80年代初期には、三寺文化(高円寺・吉祥寺・国分寺)といって、数多くの文士やミュージシャン、芸人、漫画家がこの沿線には棲息していた。
フリージャズの大御所・山下洋輔さんや矢野顕子さんは荻窪に住んでいたし、はっぴいえんどの面々は福生に住みついた。中川五郎、高田渡、友部正人、シバ、南正人、三上寛とかの中央線フォークの連中は、吉祥寺のぐぁらん堂にたむろしたり、小さいけれどヒッピー文化の流れをくんだ自給自足なコミュニティを作っていた。
特にこの辺(中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻、吉祥寺)は、ジャズや古着、古本なんかの素晴らしい情報を発信し続けていた。『名前のない新聞』なんて吉祥寺発のロック系ミニコミもあって、それが僕ら若者文化を代表していたのかな。
(LOFT PROJECT『ROOF TOP』2008年2月号より)

高円寺は「若者の憧れの街」だった

平野が述べるように、中央線文化の1つの象徴は音楽だった。筆者の学生時代には、吉田拓郎の「高円寺」という曲が注目され、地方から上京した学生の憧れの場所になっていた。その後もミュージシャンが住み続けた。

高円寺は地方から上京した学生の「憧れの場所」だった(写真:momo/PIXTA)

この背景には、1970年代に新宿を中心に、フォークソング、アングラ、サイケなどのカウンターカルチャーのムーブメントが起き、彼らの居住地として高円寺近辺が最適だったからだろう。

喫茶店「七つ森」は、上京した学生たちのたまり場になり、さらにジャズ喫茶やロック喫茶、古書店、小劇場などが駅周辺に集積していった。こうして高円寺周辺は、新たなカルチャーの温床となっていく。

音楽雑誌『ミュージック・ステディ』の編集長・市川清師は、ウェブ連載のコラムで以下のように述べている。

歴史に“もしも”はないが、もしも高円寺のロック喫茶「ムーヴィン」で、伊藤銀次と駒沢裕城が山下達郎のアマチュア時代の自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」を聞いていなければ、大滝詠一と山下達郎の出会いはもう少し先のことになり、シュガー・ベイブママが大瀧のナイアガラ・レーベルから出ることもなかっただろう。
(「高円寺『ムーヴィン』から始まった伊藤銀次 山下達郎 大滝詠一 佐野元春へと
繋がる縁とは?」『大人のミュージックカレンダー』2015年8月26日配信より)

この喫茶店「ムーヴィン」のオーナーである和田博巳は、その後、ロックバンド「はちみつぱい」にベーシストとして参加し、フリーのレコーディングディレクター、音楽プロデューサーとして、ピチカート・ファイヴ、あがた森魚、オリジナル・ラブなどのアルバム制作に携わる。現在はオーディオ評論家として、オーディオ専門誌をはじめとする各種メディアで評論・執筆活動を行っている。

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