高円寺に「サブカル好き」が多く集まる歴史事情 「中央線沿線に住むこと」が若者の憧れだった
高円寺は「若者の憧れの街」だった
平野が述べるように、中央線文化の1つの象徴は音楽だった。筆者の学生時代には、吉田拓郎の「高円寺」という曲が注目され、地方から上京した学生の憧れの場所になっていた。その後もミュージシャンが住み続けた。
この背景には、1970年代に新宿を中心に、フォークソング、アングラ、サイケなどのカウンターカルチャーのムーブメントが起き、彼らの居住地として高円寺近辺が最適だったからだろう。
喫茶店「七つ森」は、上京した学生たちのたまり場になり、さらにジャズ喫茶やロック喫茶、古書店、小劇場などが駅周辺に集積していった。こうして高円寺周辺は、新たなカルチャーの温床となっていく。
音楽雑誌『ミュージック・ステディ』の編集長・市川清師は、ウェブ連載のコラムで以下のように述べている。
繋がる縁とは?」『大人のミュージックカレンダー』2015年8月26日配信より)
この喫茶店「ムーヴィン」のオーナーである和田博巳は、その後、ロックバンド「はちみつぱい」にベーシストとして参加し、フリーのレコーディングディレクター、音楽プロデューサーとして、ピチカート・ファイヴ、あがた森魚、オリジナル・ラブなどのアルバム制作に携わる。現在はオーディオ評論家として、オーディオ専門誌をはじめとする各種メディアで評論・執筆活動を行っている。
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