「職員から1日1000円だけ渡されます。でも、施設の食事では足りないし、昼食は自腹なのでカップラーメンなんかを買ったら、いくらも残りません。部屋は2畳ほどの個室で、壁はベニヤ板。ダニやノミ、小さなゴキブリが出ました。(福祉事務所の)ケースワーカーは一度も来たことありませんね。
中には寝たきりのお年寄りもいて、おむつ交換は入居者の仕事。僕は一時期、厨房の仕事を任されました。配膳や調理、食材の受け取りとか。何十人分もの食事の用意ですから、ハローワークに行く時間なんてありません。給料? 出ませんよ、そんなの」
保護費は1人13万円ほどなので、施設はそれぞれの入居者から毎月約10万円を巻き上げていたと思われる。劣悪な居室や食事の水準を考えたら、暴利にもほどがある。これらは「悪質な無低」の典型的な手口でもあった。中には、多人数のタコ部屋に押し込まれたとか、職員から暴力を振るわれたといった話もある中、オサムさんの経験はまだましとさえ言えた。
一方、行政側も無低職員が同行する生活保護申請は簡単に受け付ける。それどころか、住まいを失った人が相談に訪れると、自治体のケースワーカーが無低に入居するよう促してきた実態もある。行政側のほうが住まいのない生活困窮者をいつでも受け入れてくれる無低を安易に利用してきたともいえ、被害に遭ったある男性は「これでは行政も泥棒の片棒を担いでいるようなもの」と憤っていた。
「ネットカフェ暮らしのほうが楽だった」
結局、オサムさんは3カ月で施設から逃亡。「無低には二度と入りたくない」と思ったという。このときは数年後、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、再び生活保護を利用することになるとは、想像もしていなかった。
オサムさんは静岡県出身。中学卒業後、建設現場やトラック運転手、廃品回収などさまざまなところで働いた。仕事がつらくて辞めたこともあったが、倒産や雇い止めによって失業したこともあった。月収20万円ほどの安定した職場がある一方、時給が最低賃金を下回ったり、“名ばかり個人事業主”で働いても支出ばかりがかさむ悪質な会社もあった。
バブル景気崩壊後、労働者派遣法の規制が緩和されると、派遣労働者として働くことが増えた。両親と不仲だったこともあり、10年ほど前に東京に移り住んだ。東京ではずっとネットカフェ暮らし。ここ数年、働くのは週3日ほどで、フルタイムでシフトに入ればアパートに移ることもできたが、そうはしなかった。「水道光熱費の支払いが面倒で……。ネットカフェ暮らしのほうが楽だったんです」とオサムさん。
そこに来て今回のコロナ禍である。オサムさんは5月末に派遣先を雇い止めにされた。理由は、法律が改正され、派遣労働者にも同一労働同一賃金を支払わなくてはならなくなったからだと説明された。
要は割高な派遣労働者をクビにして低賃金で使えるアルバイトに切り替えるということだ。不合理な格差をなくすという法改正の趣旨を無視した脱法行為である。感染拡大のさなか、新しい派遣先は見つからず、所持金も尽きた。
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