いよいよ生活保護を利用するしかない。でも、住まいがなければ無低に送り込まれるのは確実だ。結局オサムさんは友人の自宅に同居していることにして生活保護を申請した。その後、市民団体の支援を受け、なんとかアパートを借りることができたものの、居住実態のない住所を申告することは言うまでもなく不正行為である。
無低についてはこの間、市民団体などが声を上げ続けてきたおかげで、一定の規制や基準が設けられつつある。ただ、私が取材する限り、劣悪な環境で保護費の大半をピンハネする無低は依然としてはびこっている。
また、一部の自治体はコロナウイルスの感染拡大が進むなか、住まいを失った生活保護申請者を2段ベッドがいくつも置かれた3密状態の相部屋無低に次々と送り込んでいた。生活保護法は原則アパートでの保護をうたっているにもかかわらず、相変わらず“無低頼り”の一択なのだ。今回のコロナ禍は、福祉行政の貧困ぶりを改めて浮き彫りにしたともいえる。
私はうそをついたオサムさんを責める気にはなれない。生活困窮者の命を軽んじるかのような行政の対応から身を守るためには、やむをえない選択だとさえ思う。
なぜ同じように困窮する人をバッシングするのか
オサムさんとは市民団体が実施した困りごと相談会で知り合った。以後、時々LINEでやり取りをしている。オサムさんにはもう1つ聞きたいことがあった。
私が本連載で書いた記事(「収入ゼロでも『生活保護は恥ずかしい』男の心理」)について、オサムさんはこの男性を批判する感想を送ってきたのだ。男性はオサムさんと同じくネットカフェ暮らしで仕事を失い、ホームレス状態にあったところを市民団体の支援を受けたものの、「生活保護だけは恥ずかしいので受けたくない」と話していた。
オサムさんは「市民団体がこの男性にかけているお金だって『人様のお金』ですよ!」「市民団体のお世話にはなるけど、生活保護は嫌というのは、この人の偏見では?」など、普段の温厚な人柄にそぐわない厳しい言葉のメッセージを何通も送ってきた。
なぜ、生活困窮状態にある人が、同じように貧困に苦しむ人をバッシングするのか――。これは私の長年の疑問でもあった。
貧困問題について記事を書くと、SNS上などで自己責任論に基づくバッシングを受けることが多い。シングルマザーの苦労を取り上げると、同じシングルマザーだという読者から「私はダブルワーク、トリプルワークをして子どもを育てた。この女性は甘えている」という批判が来る。
生活保護利用者のことを書くと「自分は生活保護水準以下の賃金で働いている。総菜なんて買わないで、モヤシを買って自炊すればいいのに」という“アドバイス”をしてきた人もいた。
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