地獄を見た私が生活保護状態から脱せた理由 実家で親に頼るとかえって追い込まれる
実家との距離を置くことも生き残る方法の一つ
――生活保護を切る際、一番苦労したことは何ですか?
小林 エリコ(以下、小林):担当のケースワーカーが勝手に書類を作成していたことです。本来なら収入が出たら「これだけ収入があります」という内容を記入した書類を役所に送るのですが、「今月分をお送りします」と言ったら「もうその分はこっちで作ったので」と言われてしまったんです。しかも、「ハンコは役所内の小林という名字の者から借りました」と。
雨宮 処凛(以下、雨宮):ひどい!
小林:勝手に金額を書かれているから、私がどれくらい働いたかというのははっきりしていないと思います。だから、生活保護を切らせてくれなかったのかなと。それに、「どうせ精神障害の人は働けない」と言われてしまったんです。
そのときは障害者の差別団体の人に来てもらい、役所に注意してもらいました。ワーカーがもっと積極的に働けるよう助言や応援をしてくれたら、もう少し生活保護を切るのが早かったかもしれないし、支えになったのではないかと思います。
雨宮:支援団体の人に入ってもらえなかったら生活保護を切れなかった可能性もありますよね。そう思うととんでもない話です。そうやって、切りたいのに切れない人って他にもいるのでしょうね。受けられなくて困っている人がいる一方で、切れなくて困っている人もいるなんて。小林さんはブラック企業で働いている間はひとり暮らしで、心を病んで実家に戻り、その後20代の間はずっと実家暮らしだったんでしたっけ?
小林:はい、ずっと実家で暮らしていました。当時はクリニックを転々としていました。クリニックを変えて良い薬を出してもらえれば病気が良くなると思っていたのですが、多分いちばん健康に良いのは働くことだとやっと気づきました。
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