地獄を見た私が生活保護状態から脱せた理由 実家で親に頼るとかえって追い込まれる
雨宮:ただ、生活保護を受けるまでの事情は一人ひとり違います。貧困の問題が注目されて10年ちょっと経ちますが、「生活保護を受けて生きるという、最低限死なない方法はわかったけど、じゃあこれからどうやって生きていくかがまだ確立されていないよね」ということです。
うつ病で10年間生活保護という人もいれば、生活保護を脱却して派遣で働いている人もいる。でも、短期の派遣の仕事はすぐに切られるので、また生活保護に戻る、というのを繰り返している人もいます。
そして、繰り返せば繰り返すほど「どうせ働いても、また3カ月後生活保護でしょ」という中で、就労意欲が奪われていくケースもある。短期じゃない仕事がなかなか見つからない。働いても展望が見えないのはきついです。そういう中で、安定的に働いているモデルが確立していなくて困っていたので、小林さんは一つのモデルになったと思います。
自分自身があきらめきれなかった
――著書の後半は、小林さんがどんどん元気を取り戻していく様が描かれていて気持ちが良かったです。あきらめずに生活保護から脱せたのはなぜだと思いますか?
小林:自分でメンタルヘルスに関する冊子を発行しているNPOに電話をして「雇ってもらえませんか?」と行動を起こしたのが良かったのかもしれません。一応元編集者ですし、当事者でメンタルヘルスに関することはわかるから雇ってもらえるのではないかと。
やはり、自分自身があきらめきれなかったというか。本当にあきらめてしまっていたら「私は一生、生活保護なんだ」と絶望しながら生きていたと思います。まだどこかで「私は生きられるんじゃないか、必要とされているところがあるかもしれない」という気持ちがあったのだと思います。
雨宮:小林さんはやはり人の存在がとても大きいですよね。20代で実家にいるときは、お母さんも腫れ物に触るような感じというか、回復を信じていない感じが読んでいて伝わってきました。
デイケアや役所の人も「この人が働けるはずがない」と思い込んでいて。支援する人が対象者の力を奪っていくように見えました。でも、勤務しているNPOの編集部の人は普通に扱ってくれますよね。そこでどんどん自分の力を取り戻していくのが良かったです。
一般的には「良いもの」とされている支援が、人の本来の力を奪っていくというのは、誰も悪気はないのに難しいなと思いました。その人の回復度合いにもよりますし、とても大変なときに普通に扱われても困るという場合もありますし。普通に扱われて、普通に対等に働き手として扱われると、人ってこんなに普通にやれるのだということを証明していく過程は考えさせられました。
小林:ありがとうございます。デイケアや役所の人は「あなたならできる」と、誰も思っていなかったのがすごく残念でしたね。
雨宮:人から信じてもらえたら、人間って意外となんでもできる。でも、信じてもらえなければ本当に力を奪われてしまうんだな、ということを痛感しました。
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