「大規模無低」を結局温存する福祉行政の大罪 貧困ビジネスの排除は遠のくばかりだ
「ひげを仙人のように生やし、手足の爪も伸び放題。足先は黄色に変色し、すでに壊疽(えそ)が始まっていた」。今年5月、70代の父親と24年ぶりに対面した女性は、その変わり果てた姿に驚きを隠せなかった。
父親は、さいたま市内の施設で、およそ6畳のスペースを石膏ボードで3つに区切った居室で寝起きしていた。持病の腰部脊椎管狭窄症の適切な治療を受けておらず、腰痛がひどく歩行障害も生じていた。
「刑務所はこんな生活だったのかな」
この施設には、必要な介助や補助器具がなかった。そのため父親はオムツや尿パットに頼っていたが、交換もままならないため、敷きっぱなしの布団には汚れが目立っていた。風呂にも約1年間、入っていなかった。
父親との話の最中、女性は通りかかった施設の職員にあいさつした。すると、「急に来られても困る」「勝手に入られては困る」と怒鳴りつけられた。異様な雰囲気を感じた女性は6月、弁護士を伴って施設から父親を連れ出した。施設内には公衆電話もなく、携帯電話を持たない父親は外部との連絡手段がなかった。
「刑務所や、昔の『たこ部屋』はこんな生活だったのかな」。別のアパートに転居し取材に応じた男性は、約2年半に渡った施設での生活を振り返った。
男性は離婚後に事業に失敗し、その後は警備員として働いていたが腰痛が悪化。失職して家賃が払えず、さいたま市の福祉事務所に生活保護の相談で何度も足を運ぶ中、この施設の責任者に連れられてそのまま入居することになったという。
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