教育学者・内田良「ウィズコロナ時代の学校論」 リスクと正しく付き合っていく方法

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学校での教育活動は「安全・安心」を土台にして、初めて成り立つものであるはずなのに、「教育活動」と「安全・安心」がてんびんにかけられているような状況にある。新型コロナにおいても同じで、僕はこの現状が非常に気になっています。

リスクはゼロでも100でもない

子どもたちはもちろん、私たち大人も、ここ数カ月の自粛生活のなかで、不安やストレスなどはあるものの「家にいるとなんてリラックスできるのだろう」という感覚を味わったのではないでしょうか。

学校生活というのは非常に窮屈な世界です。しかし、みんながこのゆるい数カ月間を味わったのだから、学校も少しはその空気を取り込んでほしい。

仮にその空気が取り込めないにしても、長期間にわたり学校を離れていた子どもたちが、快適な家庭から息苦しさを感じる学校生活へ戻ろうとするとき、分散登校などで段階的なステップを踏んでいくことが必要です。それは感染リスクを避けるのと同じくらい大事なことでしょう。

しかし、一方で「安全・安心を考えたら、学びなんてできないよ」という意見があります。

確かにリスク研究の分野でも、ゼロリスクは想定していません。学校においても熱中症やケガなどを含め、さまざまなリスクがあります。

リスクをゼロにしようということではないわけです。リスクはゼロではないよと言うと「ほらみろ、なんにでもリスクがあるじゃないか。巨大組み体操は危険だといっても、スポーツにケガはつきものだ」などと誤解されることがありますが、そうではありません。高いリスクは当然減らす努力をしたほうがいいのです。

学校を再開するにあたっては、「ステイホーム」と「学校再開」をてんびんにかけることになり、後者が選ばれました。

しかし、リスクがゼロになったわけではないので、「学校へ行っても大丈夫なんだ」と急に気を緩めるのも違います。リスクはゼロか100かではありません。

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