パ・リーグは1973年~1982年、人気浮揚策として前後期2シーズン制を実施した。また1975年には指名打者制を導入した。しかしセ・リーグはパの施策に同調しなかった。2シーズン制は観客動員に結びつかず1982年に終了したが、指名打者制はパ・リーグでは今に至るも続けられている。しかしセ・リーグは導入していない。こうした確執が70年以上も続いているのは驚きではある。
これはアメリカでも同じことが起こっていた。アメリカでもナショナル・リーグとアメリカン・リーグは長く競合関係にあったのだ。MLBを創設したリーグの流れをくむナショナル・リーグと、もとはその傘下にあったアメリカン・リーグが両立して二大リーグになったのは1901年のこと。
以後、ア・ナ両リーグは、セ・パ両リーグと同様、個別の路線をとることが多かった。1973年にアメリカン・リーグは人気挽回策として指名打者制を導入したが、ナショナル・リーグは同調しないまま今に至っている。このあたりはNPBとよく似ている。
MLBはビジネス規模が大きく拡大
しかし両リーグは、1990年代に入って急速に歩み寄る。1994年から95年にかけてMLB選手会がFA権をめぐって大々的なストライキを展開、MLBの人気は急落した。
MLB各球団の経営陣はその挽回策として1996年、リーグの垣根を越えて両リーグのチームが対戦する「インターリーグ」を開始した。
このインターリーグを推進したMLB機構幹部のバド・セリグが1998年にコミッショナーに就任すると、2000年には両リーグ会長職は廃止されMLBコミッショナーの下に統合された。
球団オーナー出身のバド・セリグはやり手のビジネスマンであり、MLBは機構が先頭に立って事業拡大にまい進した。28球団を30球に拡張(エクスパンション)するとともに、放映権やライセンス、フランチャイズなどのビジネスで巨額の契約をものにした。その恩恵は30球団にいきわたった。
1994年には、MLB28球団の観客動員は5001万人だったが、2チームが新規に加入した1998年には7060万人になっている。
こうしたコミッショナー主導の強力な事業展開によって各球団の企業価値が高まる中で、両リーグの確執は霧消したと言ってよいのではないか。
この間、両リーグのチーム数を調整するために1998年にはミルウォーキー・ブルワーズがア・リーグからナ・リーグに移動。2013年には反対にヒューストン・アストロズが、ナ・リーグからア・リーグに移動している。リーグをまたいだ球団の移動はNPBでは見られない。
両リーグは未だに指名打者の有無という違いはあるが、それ以外の大きな差はなくなっている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら