しかし、そうしたノウハウやネットワークがまったくないローカル局がいきなりドラマ作りを始めるのはなかなか難しい。費用対効果を考えると、わざわざそこに人を割いてまで作ろうという機運も生まれにくい。
そのためテレビ宮崎にとって初のドラマ作りは決して容易ではなかった。「ドラマが作れたらいいよね」とふわっと交わした雑談からはじまったものの、「いったいどうしたら具体化できるのか」と考え始めると、予算組みから苦戦したという。社内で繰り返し議論を重ね、ようやくまとまった道筋を記した企画書は今でも社長室の神棚に飾られている。
裏テーマは「人材の育成」
その企画書を手にしながら宮崎から東京に出向き、記念すべきドラマ化が決まった日のことは原作者の東村アキコが5月28日発売のモーニングで描き下ろしてもいる。そこには開局50周年プロジェクトの統括として、ドラマ化実現の立役者である榎木田朱美アナウンサーの姿もあった。その榎木田アナウンサーについて東村アキコは「宮崎で知らない人はいないカリスマアナウンサー」と紹介し、やりとりの一部始終と共に同郷の新たな挑戦に喜びひとしおだったことを滲ませている。
機動力の源は、「周年プロジェクト」の方針が影響している。周年事業は“お祭り”的に捉えられがちだが、テレビ宮崎の寺村明之社長は、何か次につながることを実行しないと意味がないと考え、それを社員に伝えることから始めたという。
「まず、自分たちで考えて動く力をつけるために、やったことがないことをやろうと話した。やらないと何も始まらない。50周年以降も生き残っていくためには、主体的に動いていくことが大事だと」(寺村社長)
コストのかけ方も投資の観点だけでなく、人材育成という“人”への投資も含めて考えたという。テレビ局の柱となるテレビの広告収入が全国的に減少するなか、リーダーシップをとって局員を引っ張っていける人材を育てていく根本的な施策に目を向けた。それは実は、周年プロジェクトの「裏テーマ」でもあった。
「人材育成」と「生き残り策」の答えの先に、放送番組を起点に新たな利益を生み出していく「コンテンツビジネス」の考えにもたどり着いた。
当初の企画段階から「1回放送するドラマでは勿体ない」と、1話15分、全10話の連続ショートドラマのフォーマットにした理由もそのためだ。連続ドラマにすれば2~3時間強の単発ドラマよりも配信先に売りやすい。また、動画配信サイトのトップ画面に東京キー局のドラマと並ぶことを想定しながら、制作を進めていった。動画配信サイトでは「これはローカル発ドラマなので……」という言い訳はきかない。だからこそ「東京並みのドラマ」にこだわった。
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