疫病の流行は国家的危機。
戦後日本は長らく、安全保障に力を入れてこなかったわけですが、ナショナリズムの原則に基づいて「感染症に強い社会づくり」を促進するのは望ましいことです。
いわばボディ・ポリティックの体質改善。
これにはインバウンドの見直しはもとより、食料自給率の向上、先端医療への投資、経済格差の是正、社会保障の充実といったことも含まれます。
けれども問題は、交通・輸送手段の発達を否定するなど、結局は誰にもできないこと。
人間がナショナリズムに回帰しようと、ウイルスの側がグローバリズムに目覚めてしまったのです。
これはどの国のボディ・ポリティックであれ、感染症予防に関しては、ほかのボディ・ポリティックと(否応なしに)つながっていることを意味する。
病原体の側にしてみれば、今や人類は地球規模で1つの身体をつくるに至った、そう形容してもいいでしょう。
ボディ・ナチュラル(自然的身体=個人の生身の身体)、ボディ・ポリティック(政治的身体=統合された社会や国家)につづく、「ボディ・パンデミック」(疫病的身体=病原体のエサとしての全人類)とも言うべきものの誕生です。
主導権は病原体の側にある以上、ボディ・パンデミックについても、人間の都合で分離することはできません。
「世界全体の健康なくして、自国民の健康はない」
「世界は本当に1つの村のようなものなんだ。世界のどこであれ、疫病を放っておいたら、明日はわが身と思わなければならない」
ノーベル賞を受賞した分子生物学者、ジョシュア・レーダーバーグの言葉ですが、こうなるとナショナリズムは、コロナ後の時代を生き抜く必要条件ではあっても、十分条件とは言えない。
われわれはボディ・ナチュラル、ボディ・ポリティック、そしてボディ・パンデミックの3つの身体を守らねばならないのです。
今後の疫病発生を封じ込めるには、「世界全体の健康なくして、自国民の健康はない」というグローバリズムに基づいた、国境を越えた地球規模の連携が求められる。
まずは自国のボディ・ポリティックを守ることが最優先としても、世界が一体となってボディ・パンデミックを守らなければ、結局はウイルスに勝てない!
われわれが直面する状況には、そんなパラドックスが潜んでいます。
「身体」の概念を媒介として、ナショナリズムとグローバリズムの間に、新たなバランスを作りあげねばならない、そう要約することもできるでしょう。
さもなければ、遅かれ早かれ、われわれのボディ・ナチュラル、自然的身体が冒されることになるのです。
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