二つの選択肢
(1)それを変えて、周囲の者に好かれる態度にする。
(2)変えないで、嫌われたままでいる。
そして、われわれは必ずしも(1)ではなく、(2)を取ることが少なくないのですが、それは「自分の信念」のためだと一まとめにできます。これは、宗教的弾圧という厳しい場面から日常些細なクセに至るまで、同じ構造をしている。そして「攻撃的(ととられる)言葉遣い」によって嫌われている今回の相談も、やはり同じでしょう。
「自分の信念を貫き、かつ周囲の者に好かれる」というのが理想でしょうが、なかなか厳しいこの世間、そうはいかない。他人はそれほどあなたに寛大ではなく、あなたの言動が気に食わない場合、あなたがその他人に対して特別の権力を持っているか、その他人に大いなる利益を与えるか、その他人があなたを猛烈に愛しているかでない限り、(すなわち、あなたが恐ろしいか、有益か、あるいはあなたを愛しているのでない限り)、自分の信念や感受性を曲げてまで、あなたに同調などしないからです。他人に対して、あなた自身も同じ態度を取るに違いありません。私は長く哲学をやってきて、いや長く生きてきて、次のことが腹の底までわかりました。
(1)他人は変えられないこと(とくに、「私」が「自分は正しい」という態度を取っているうちは)。
(2)私が望むことを実現するには、(しばしば多大な)犠牲を払わねばならないこと。
これまで、どこから見ても自分が「正しい」と思われることでも、他人の承認をあまり期待しないように、そして(望むことは絶対にあきらめないタチなので)莫大な犠牲をも覚悟するようにして生きてきたのですが、(私の体験から言いますと)これにはかなりの努力とスキルが必要です。
ここらで、ご相談内容を具体的に見ていきましょう。
あなたが自分の信念に従った語り方をしても周囲の人々が認めてくれないとき(彼らから「頻繁に注意される」とき)、周囲の人々との関係を良好に保ち、かつあなたの信念を曲げたくないのなら、やはりここには限られた道しかありません。これは、先に書いたように、権力・利益・愛という例外的な三つの場合にも関連します。
まず、あなたは力を蓄え力のある地位に立つことが必要です。あとの二つもこれと密接に関係してきます。あなたは、いろいろな意味で周囲の人々に利益を与える立場、あなたと付き合っていると「得をする」立場に立つことが必要であり、さらにそのことを含めてあなたが周囲の人々から愛されていることも必要になります。以前、私はある本で次のように書いたことがあります。
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