したがってやや単純化して対比すると、「グローバル化の終わり」あるいは「グローバル化の先の世界」には大きく異なる2つの姿があると言える。
1つは強い「拡大・成長」志向や利潤極大化、ナショナリズムとセットでのものであり、そこでは格差や貧困、環境劣化は大きく、トランプ現象はある意味でその典型である。
もう1つは環境あるいは「持続可能性」、そしてローカルな経済循環や共生から出発し、そこからナショナル、グローバルへと積み上げていくような社会の姿であり、上記のようにドイツ以北のヨーロッパに特徴的である。
その具体的なイメージとしては、先述の拙著『人口減少社会のデザイン』でも紹介したが、ドイツの地方都市の姿が挙げられる。
エアランゲンという人口約10万の中小都市は、日本の同規模の地方都市がほぼ間違いなくシャッター通り化しているのと異なり、中心部が賑わい、しかも自動車交通が排除されて誰もが「歩いて楽しめる」コミュニティ空間となっている。先ほど述べた「ローカルな経済循環や共生から出発」とはこうした姿を指している。
そして前回も述べたように、ドイツなどで今回のコロナ・パンデミックの被害が相対的に小さいのは、まさにこうした社会の姿と関係していると私は考えている。
「ポスト情報化」と「生命」の時代
さて、「コロナ後の世界」を論じている本稿の最後に述べたいのが、今回のパンデミックは、これから私たちが生きていく21世紀の時代が、「ポスト情報化」そして「生命」を基本コンセプトにする時代になっていくことを象徴的に示しているという点だ。
歴史を大きな視点でとらえ返すと、17世紀にヨーロッパで「科学革命」が生じて以降、科学の基本コンセプトは、大きく「物質」→「エネルギー」→「情報」という形で展開し、現在はその次の「生命」に移行しつつある時代であるととらえることができる(拙著『人口減少社会のデザイン』第3章参照)。
すなわち、17世紀の科学革命を象徴する体系としてのニュートンの古典力学は、基本的に物質ないし物体(matter)とその運動法則に関するものだった。
やがて、ニュートン力学では十分扱われていなかった熱現象や電磁気などが科学的探究の対象になるとともに、それを説明する新たな概念としての「エネルギー」が(ドイツのヘルムホルツらによって)19世紀半ばに考案され、理論化されていった。
これはほかでもなく、産業革命の展開あるいは工業化の進展と呼応しており、石油・電力等のエネルギーの大規模な生産・消費という経済社会の変化と表裏一体のものだった。
20世紀になると、(二度の世界大戦における暗号解読や「通信」技術の重要性とも並行して)「情報」が科学の基本コンセプトとして登場するに至る。具体的には、アメリカの科学者クロード・シャノンが情報量の最少単位である「ビット」の概念を体系化し、情報理論の基礎を作ったのが1950年頃のことだった。
重要な点だが、およそ科学・技術の革新は、「原理の発見・確立→技術的応用→社会的普及」という流れで展開していく。すなわち一見すると、「情報」に関するテクノロジーは現在爆発的に拡大しているように見えるが、その原理は上記のように20世紀半ばに確立したものであり、それはすでに技術的応用と社会的普及の成熟期に入ろうとしている。実際、インターネットの普及その他さまざまな情報関連指標も近年飽和してきている。
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