「山村美紗」ハイペースで書き続けた泣ける理由 実はとても不器用だったトリックの女王
山村美紗が考える「育児術」
山村美紗が作家として本格デビューしたのは、ちょうど紅葉が中学に通い始めた時期だった。国立のエリート校だから、周囲は母親に手をかけられている子どもばかり。駆け出し時代の母は特に忙しく、紅葉は級友とのギャップに悩んだ。
スキー教室では友だちが母親の編んだセーターを着て最新のスキーウェアを携えているのに、美紗は手編みどころかスキー教室があることすら知らず、紅葉は防水機能のないアノラックでびしょびしょになりながらスキーをした。母の代わりに妹を保育園に送って学校に遅刻したこともあった。
完璧志向だった美紗は、この時期のことをどうとらえているのだろう。「『子育て推理学』のすすめ」(『美紗の恋愛推理学』所収)は、プライベートをあまり語らなかった美紗が書き残した数少ない育児エッセイである。ありていにいえば、多忙であまりかまえない自分が、いかに子どもの心をうまくつかんだか、という子育て成功テクニック集だ。
例えば、思春期の育児の方針は「泳がせろ」。刑事がシッポをつかむためにあえて容疑者を自由に動き回らせるように、干渉せずに自由にさせながら、子どもの言うことを全肯定して心をつかんでおくのである。つねに褒め上手に徹し、試験が近づいたら勉強しろと叱る代わりに得意の推理力で娘と一緒に〝ヤマ〟を探す。娘たちにはいつもこう言い聞かせていたという。
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