「山村美紗」ハイペースで書き続けた泣ける理由 実はとても不器用だったトリックの女王

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こうして山村紅葉はドラマ「燃えた花嫁~殺しのドレスは京都行き~」で女優デビューを果たす。ドレスごと燃やされる役だったが、演技の仕事は意外にも楽しかった。誘われるままに大学在学中に20本のドラマに出演し、芸能プロダクションからの誘いも受けた。

しかし演技の勉強をしたわけでもなく、「それほどの顔でもないし、それほどの演技でもない」という母の言葉もあって、大学卒業後は大阪国税局で税務調査官として働くことにした。いわゆる「マルサの女」だ。

コネ女優と言われがちな紅葉だが、母のコネでテレビ局でも出版社でも苦労せず入れそうなところを、国家試験を受けてド堅気の道に進んだのだから、もともとは母から離れたところで生きるつもりだった。それでも結婚退職後、再び知人からの誘いを受けて女優の世界に戻っていく。

最初で最後の「母娘2人旅」

美紗は女優としての娘にはとことん過干渉だった。テレビで自分の作品に出ているなら娘を守れるけど、自分と関係ない舞台に出ることには「私のコネがないと無理だから」と反対する。紅葉が母のコネを利用したというよりは、むしろ美紗のほうが自分の作ったお城から娘を出したがらなかったというほうが近いだろう。

今思うと、私たち母娘は、密着しすぎて遠い存在、言い換えれば、すごく距離があるのに近い存在でした。(……)普通の母と娘の距離が仮に1メートルだとすると、私たちはもっと密着し、分離不可能というほどお互いの中に気持ちが入り込み合ってる「一卵性親子」的な部分と、逆に、一般的には他人より遠いように思える、何十キロ先と見えないほど離れていた部分とが同時にあった、不思議な関係でした。
母が私に女優の仕事を、自分のコネのない所ではやらせたがらなかったのは、娘の痛みを自分の身に感じていたからでしょうか。「娘が心配」というのではなく、もう「自分が痛い」。逆に私も、小さいころから訴えたいことはいっぱいあったのに、母の気持ちがわかりすぎるために、何も言えなかったのかもしれません。
(山村紅葉「解けない謎を残して逝ったひと トリックの女王・山村美紗の素顔」『婦人公論』2001年3月22日号)

完璧でなければ受け入れられない。そんな自分の怯えを娘に投影してダメ出しばかりしていた美紗が、1回だけ母娘2人きりの旅行をしたことがある。秘書もお手伝いさんも倒れてしまったというので、日当2万円で紅葉に付き人を依頼したのである。

このときの母は人が変わったように優しく、アクセサリーやお土産を機嫌よく買ってくれた。びっくりした紅葉が思わず「ママ、急にいい人になって、死ぬんちゃう?」と口に出してしまったほどだ。それが2人の最後の旅行になった。

1996年9月5日、山村美紗はホテルで執筆中に急死する。母原作のドラマ撮影で京都に滞在していた紅葉は、すぐに車で東京のホテルに向かい、京都の自宅まで母の遺体を運んでそのまま撮影現場に戻った。

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