「葬式代を稼いで死のう」15歳の少女が語る心情 カーストが上の子たちからの攻撃に疲れて
もうひとつイヤだったことは部活動です。私は吹奏楽が好きで小学校からやっていたので、中学でも吹奏楽部に所属しました。
しかし吹奏楽部というのは「文科系のなかでも一番、体育会系的な部活」なんです。年功序列が強く、練習は週7日、毎日ありました。
部活内には陰口やハブリ(仲間外れにすること)が横行していました。練習にまじめに取り組む子が不まじめな子の陰口を言ったり、演奏が下手な人が上手な人を妬んだり、人間関係の渦が濃かったです。
私も、ある仲よしの子がハブられたときに、傍観者として見て見ぬふりをしてしまったことがあります。その子は練習をサボりがちだったので、「多少言われてもしょうがないじゃん」と。
こうしたクラスや部活での人間関係は、疲れるし、恐怖でした。誰かが誰かの陰口を言っているということは、私も陰で何か言われているにちがいない。とても仲のいい友だちでも、心から信頼することはできない。
そうしたストレスから私は徐々に体調を崩すようになりました。学校を休んだ次の日、クラスメートから「どうせ仮病なんだろ」と言われたことがあり、ものすごくショックでした。
そして学校を休むたびに、「ああ休んじゃった、これでまた何か言われたらどうしよう」と恐怖が大きくなっていく、という負の連鎖でした。
親には素直な気持ちを言えず
――そのつらさを親には話しましたか。
最初に親に「学校行きたくない」と言ったのは、夏休みの最後の日でした。
はっきりとは言えず「明日、あまり行きたくないかも知れない」「なんとなく、行くのイヤかも」みたいなあいまいな言い方だったと思います。
それでも母は「いいよ。休みたいなら休めば」と、認めてくれたんです。
しかし始業式当日には「休んだらまたクラスメートに何か言われる」という恐怖から、休むことができず、そのままずっと通い続けました。そうした無理がたたって、私はどんどん疲れていきました。
そして迎えた冬休みの最後の日、私はついに「行きたくない」と言って泣きました。母はそのときも私を認めてくれました。
しかも「行かなくてもいいよ」ではなく「今のあなたは見すごせない。行かないほうがいい」と、強い口調で行かないことを後押ししてくれたんです。そのおかげで、パッタリ不登校になりました。母には本当に感謝しています。