「刑事ドラマ」歴代の名作が映し出す社会の変化 テレビドラマ史におけるジャンルの確立と発展

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こうした刑事ドラマと青春ドラマの融合は、二人の刑事がコンビとなって活躍する「バディもの」につながっていく。その先駆とも言えるのが、75年に放送された日本テレビ「俺たちの勲章」である。

主演の若手刑事役は松田優作と中村雅俊。松田は「太陽にほえろ!」の新人刑事・ジーパンを演じた直後、また中村は日本テレビの学園ドラマ「われら青春!」の教師役でブレークした直後で、この組み合わせ自体が“青春刑事ドラマ”と言うにふさわしい。松田が犯人に対して容赦ないクールな性格、中村がすぐ犯人に同情してしまう優しい性格という対照的なキャラクター設定も、バディものの原型的なところがある。

ただ、そこで描かれる青春は決して明るいものではない。むしろ逆である。「俺たちの勲章」の最終回では、事件に関係する自分の恋人へのおとり捜査を命じられて上司に不信感を抱いた中村が、犯人逮捕を妨害する挙に出て自ら辞職する。そこには学生運動の熱気が過ぎ去り、高度経済成長が終わりを迎えたなかで、“しらけ世代”と大人たちから評されながらも組織の歯車になることに反発した当時の典型的若者の姿が垣間見える

1980年代の2時間ドラマとバディもの

80年代になると、刑事ドラマは徹底した娯楽主義へと向かう。その推進役となったのが、2時間ドラマである。元祖に当たるテレビ朝日「土曜ワイド劇場」が始まったのが77年、当初は作風も多彩で視聴率的に苦戦したが、天知茂演じる明智小五郎が活躍する「江戸川乱歩の美女シリーズ」がヒットすると、ミステリーものに特化した路線で安定した視聴率をあげるようになる。

そしてその成功を受けて他の民放キー局も80年に読売テレビ、82年にTBS、83年にフジテレビと、続々参入し、85年には週に7つもの2時間ドラマ枠が競い合うという空前の活況を呈するようになった。

2時間ドラマにもいろいろなタイプ、特色がある。ここでは刑事ドラマの歴史という観点から、二つの点に触れておきたい。まず一つは、「お約束」の面白さ。各テレビ局で2時間ドラマ枠が増えると、作品の量産が必要になる。

冒頭にも触れた刑事ドラマの勧善懲悪的「お約束」の明快さは、その点で2時間ドラマにきわめて適していた。さらに2時間ドラマの人気が定着していくと、犯人はなぜかいつも断崖絶壁で罪を告白するとか、テレビ欄の出演者順を見るだけで犯人の予想がつくといったような細かい「お約束」も発見され、逆にそれが2時間ドラマならではの楽しみ方として視聴者の間に広がっていく。

もう一つは、主人公の職業の多様化。「お約束」の部分は変わらなくても、バリエーションがないとさすがに視聴者に飽きられてしまう。全国各地の温泉や観光地などを物語の舞台にする「旅情」の要素などは、そのバリエーションの付け方の一つだが、刑事だけでなくそれ以外の捜査関係者を主人公にすることもその一つとしてあった。

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