形あるものを借りて供養する人、心で偲ぶ人
あの頃は、特に癌で亡くなった人の闘病記や看病記がよく出版されておりまして、それらも片端から読みました。まだ20代でしたので大切な人との離別を経験していない人も多く、それらの人から「頑張って」「時間が薬よ」と言われるより、これらの読書はみんな頑張った、みんな堪えている、自分にだけ振りかかった不幸ではないという意味を知る上で少しは力になりました。愛別離苦の意味も、体で理解できるようになっていきました。
私の友人の昌子さん(仮名)の居間は小さなお寺のお堂より立派です。居間の一番良い場所に仏壇があるのですが、この5年で夫君と30歳前の娘さんがそこに入られました。彼女は時間的に激務で責任ある仕事を抱えているにもかかわらずこの5年間、その仏壇は毎日お花いっぱい(花瓶や鉢植えが4~5個は少ない日です)、果物、お菓子、日替わりお惣菜、娘の楽しそうな旅の写真やお気に入りだった品々であふれています。
何か到来物があると(ほとんどの人は彼女ともう一人の同居している娘に届けていると思うのですが)、彼女は「ほら京子ちゃん(仏壇の中の娘)、何々さんがあんたにこれを持ってきてくださったよ」と語りかけて、仏壇にまず供えます。私が「姿がないだけで、今でも京子ちゃんと一緒に生活しているのね」と思わず言いましたら、「そうでないと生きていけないもの」という答えが返ってきました。そして般若心経を欠かしません。彼女が京子ちゃんの話をするときはいつも、彼女も京子ちゃんも元気一杯です。
別の友人・由紀ちゃんは母親思いで、母親の終末の半年は実家に泊まり込んで看病しました。母親の遺志で葬式は簡単、お墓を作らず、お遺灰は海に撒いたそうです。「お墓が有った方が忍ぶよすがになるかもしれないけれど、ここ(自分の胸をさして)にいるから大丈夫」とさばさばしています。まだ3年も経っていませんが一度は命日も忘れたそうです。「そのうちずっと忘れることになるだろうけれどそれはそれ、命日でなくとも思い出したときに偲べばいいわけで」とあっさりしています。この時期の乗り切り方も人それぞれです。
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