「時間が薬」はありがたい言葉です
私は今までに、随分多くの大切な人をあの世に見送ってきました。人は必ず別れる宿命を持って生まれ、出会い、別れるのだそうですが、そんなことは頭でしか理解できておらず、何と言われようとその悲しみを静かに受け止められるまでには、辛い時期を堪えるしかありませんでした。時間が一番の薬だとよく言われますが、振り返ってみると確かに、時間が一番ありがたい薬でした。
例えば配偶者との離別が一番不幸だという人や、両親、一身同体だった姉妹、親友、あってはいけないことですが逆縁の場合(子供が先に逝くこと)など、大切な人との離別の中でも何が一番不幸か比較する人がいますが、これらに順位をつけることに何の意味もなく、悲しく辛いことに変わりはありません。
私の場合の愛別離苦の最初の経験は母でした。30年以上前のことでしたが兄姉たちが独立してこれから楽になるというときの突然の他界でしたので、私には何の心の準備もなく、母からもらった精神的な多くのものに対して何の孝行もできていなかった不甲斐なさに、悲しいというよりは、取り返しのつかないことをしてしまったという自責の念に苦しみました。それは永遠に続くと思われました。
世の中がひっくり返ったようでしたが、不幸中の幸いといいますかその時私には二人の女の子がおりました。悲しみに暮れるには待ったなしで育児に手がかかるということもありましたが、絶えず込み上げてくる喪失感や自責の念を克服するのに、流れ行く時間にも随分助けられました。
亡き人の生を意味あるものにするために
亡き母の生をそれからでもより意味あるものにするためには、我が子をちゃんと育てることだと瞬間的に思いました。母からつないだ生のリレーの子へのバトンタッチをよりいい形にしたいと思いました。そのように考えなくとも育児には全力を尽くしたと思いますが、このように母との離別を捉えることは、少しは慰めになりました。時間薬といっても、やはり薬が効くまでの自助努力も必要です。
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