イタリア再生を託された「謎のクルマ屋」の正体 "名車の父"の魂は経済再開に明かりを灯すか

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人材の育成に関しても、とことん真面目だ。同社の敷地内には「ダラーラ・アカデミー」という教育施設兼ミュージアムがある。そこでは少年少女から大学生までが、さまざまなレベルでレースカー作りの”作法“を学ぶ各種授業が用意されている。

パルマ、モデナ、ボローニャの大学と共同で、より実践的なレースカー設計を学ぶための学科も、ジャンパオロらの努力によって誕生した。単なる机上の理論だけではなく、ダラーラ社のファクトリーを用いて実際のレースカー製作までを行うから、徹底している。まさにスポーツカーは文化そのものであることを思い知らされる。

「次の世代がしっかりと学び、それを引き継いでくれることが大切なのです。ダラーラ社の即戦力を求めているわけではありません。このことによってモーターヴァレー、ひいては世界のレース界の人材が厚くなることが重要です」と、ジャンパオロは力説する。

ジャンパオロが示唆する"コロナ後"の製造業

そんな彼には1つの夢があった。「ランボルギーニ・ミウラ」はジャンパオロがランボルギーニ在籍時にチーフエンジニアとしてイチから作り上げた画期的なスポーツカーであり、ランボルギーニを一気にトップ・スポーツカーメーカーの座へと押し上げた伝説の名車だ。“真面目”なジャンパオロの夢とは、そのミウラでやり残したことをすべて反映した最新のスポーツカーを作りたいというものだった。

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ダラーラ社が製造した「ダラーラ・ストラダーレ」

理想を追求するため、すべてを自社資金で賄い、完成したのが「ダラーラ・ストラダーレ」だった。どのハイパフォーマンスカーより軽く、最新の空力理論を追求した手作りモデルだ。もちろん安全性にもこだわり、ボディ強度を高めるためにドアすらないし、軽量化を追求した結果、屋根やフロントウインドーもない。

こうして完成した「ダラーラ・ストラダーレ」は、クライアントである自動車メーカーを邪魔したくないと、モーターショーやカーイベントに出展しないという“真面目”さでセールスを開始した。しかし、フタを開けてみると、自動車メーカーとしてはまったく実績のないダラーラ社の第1号モデルにもかかわらず、オーダーが殺到した。

当地においてクルマは単なる工業製品でなく、文化としてとらえられていることをこの至極“真面目”なダラーラ社の活動から理解することができる。そして、その文化は自社だけで創るのではなく、横のつながりをもって共に育てていく。今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって再考を促されている製造業の未来について、ダラーラ社の進む道は1つの示唆を与えてくれるように思う。(一部敬称略)

越湖 信一 PRコンサルタント、EKKO PROJECT代表

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えっこ しんいち / Shinichi Ekko

イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。著書に『Maserati Complete Guide』『Giorgetto Giugiaro 世紀のカーデザイナー』『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング』などがある。

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