コロナ後に「ニューディール政策」復活の可能性

岩井克人「新古典派経済学」超克の野望、再び

「経済学を、文学と科学を足して二で割ったものととらえたのです。まあ、今から考えると、ずいぶんいい加減な理由で選んだと思いますが、経済学を専攻することにしました」(『経済学の宇宙』31ページ)

岩井氏の文章は、鋭利な理論展開と優美な表現力を併せ持つ。その独特の筆致は高い人気を得ているが、このような背景があるゆえなのかもしれない。

「新古典派」の理論構築を嘱望された希代の逸材

岩井氏は東京大学の経済学部に進学する。入学当初は政治学にむしろ興味が向いていたが、大学2年時に受けた「近代経済学」(根岸隆)の授業に深い感銘を受ける。

「とりわけ、新古典派経済理論の数学的な美しさに驚きました。科学少年であったときの知的興奮がよみがえってきたのです。(中略)目標にできる人がここにいる、経済学者になってもよいと思いました」(『経済学の宇宙』38ページ)

それとともに、当時の東京大学で優勢であり高校の頃から触れていたマルクス経済学に対し、学びながらも違和感を感じるようになっていく。

学部の後半では、学内で少数派だった近代経済学のゼミを選び、小宮隆太郎から「通説批判」の精神と経済成長に関する純粋理論を学ぶ。そして、理論に堪能だと気付いた小宮により、シカゴ大学から帰京したばかりの宇沢弘文に紹介される。

東京大学の数学科出身で、数理経済学の世界的な第一人者だった宇沢は、ベトナム戦争反対の立場から東京大学からの招聘に応じていた。

そして岩井氏は、宇沢から多大な影響を受ける。新古典派経済理論(数理的に基礎構築された自由主義経済の理論)の最先端の手法と、そして宇沢が密かに葛藤し続けていたその手法の限界性を、教室や酒場で間近に学び、学部生の終わりを迎える。

岩井氏は大学院進学を自然に考えるようになったが、いわゆる東大闘争の影響で大学院が封鎖されてしまう(封鎖はその後、数年続いた)。

東京大学の近代経済学教員チームは、岩井氏を含む4人の大学院志望者を直接アメリカの大学院に進学させることにする。岩井氏は最も数学が堪能ということでマサチューセッツ工科大学(MIT)に推薦される。

米国屈指の経済学者ポール・サムエルソンを招聘したMIT経済学部は、彼の尽力により米国最高位の地位を獲得、ロバート・ソロー、フランコ・モディリアニ、チャールズ・キンドルバーガーといった豪華講師陣を擁していた。いわば経済学の中心地で、岩井氏は新古典派経済学の粋を学ぶことになる。

そして早くも1年目の二学期に転機が訪れる。サムエルソンの講義中に提示された経済成長論の技術的課題に、数学的な解決手法のアイデア(「入れ子構造」でのモデル記述)を思いつき、一月ほどかけて「最適経済成長と静態的序数効用ーーフィッシャー的アプローチ」という論文にまとめる。

その論文はサムエルソンとソローに認められ、2年時にはサムエルソンの研究助手に迎えられ(前任はロバート・マートン)、その後、ソローの研究助手も務めることになる。

3年の時には、ジョセフ・スティグリッツからエール大学で行われる経済成長論のカンファレンスに誘われて出席し、院生でありながら発表を行なっているが、その背景に経済成長論の理論的大家であるチャリング・クープマンスの取り計らいがあったことは、米経済学界の経済成長論分野からの岩井氏への期待の大きさの現れだろう。

「まだ学者になるかならないかの頃でしたが、今振り返れば、このときが、私の学者人生における『頂点』であったのです」(『経済学の宇宙』68ページ)

しかし、大学院の2年から3年にかけて、岩井氏は平行してケインズ経済学を読み直しつつ、新古典派経済学の根幹を見つめ直す作業を始めていた。そして、経済成長理論の分野での将来を嘱望していたソローからの提案を、大胆にも断ってしまう。

「その瞬間、私の学者人生は、『頂点』から『没落』し始めてしまったのです。もちろん、私はそのようなことを知るよしもありません」(『経済学の宇宙』78ページ)

岩井氏はMIT時代の総仕上げとして、新古典派経済学の根幹部分を支える「神の見えざる手」のメカニズム検証に着手する。新古典派が依拠する自由放任下の完全競争による需給バランス均衡の到来、そしてそれによる資源の最適分配のメカニズムは「神の見えざる手」と呼ばれ、主流派経済学の最重要の基礎となっている。

ただ、それを厳密に追っていくと、論理に致命的な飛躍があることが他でもない新古典派経済学者から指摘されてもいた(ケネス・アロー、チャリング・クープマンスによる)。

完全競争下では価格は与件となるが、では、その価格は誰が動かすのか――。価格がもし皆で動かしうるのであれば 、完全競争による秩序はどのように実現し得るのか――。

そして、新古典派はそのことに目をつぶってしまったのではないか。残されてしまっていたその課題の検証を岩井氏は「見えざる手を見る」作業と呼び、試行錯誤の末に3年目の終わりまでに「不確実性のもとでの独占的競争企業の行動を分析した論文」として仕上げる。

「私は、主流派がその価格の調整メカニズムそれ自体は理論化してきていないことに不満を持ち、最初はその経済理論を内部から補強しようと思ったのです」(国際基督教大学HPでのインタビュー

先行して仕上げていた2つの論文と合わせ、「経済動学に関する三つの試論」として博士論文として提出し、3年足らずで博士号を取得する。

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