PDCAが元凶!コロナ禍では現場最重視しかない 「無能な上司の計画」で信じられない大混乱が

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なぜこのようなことが生じるのでしょうか。失点主義のなかでは都合の悪い事実は隠される傾向にあるとかさまざまな理由が考えられます。そのなかでも、おそらく、PDCAサイクルの呪縛が大きいのではないでしょうか。

このPDCAの弊害は、不確実性が増すにつれて深刻化していきます。というのも、不確実ななかではそもそも出発点の計画を立てることができなくなるからです。

PDCAサイクルが制度化していれば、計画を立てないわけにはいきません。そのため、多くの企業では、計画策定に半年ほどの時間を費やし、資料作成に追われることになります。おそらく本社のスタッフ業務を行っている方々で、資料作成以外の作業時間は圧倒的に少ないのではないでしょうか。

「資料づくり」で現場の支援はできない

しかし、その「資料づくり」がどのくらいの価値をもたらしているでしょうか。かつて、ある会社の本社管理部門の生産性を測定したことがありました。その部署では、年に2冊の分厚い報告書を作っており、金額に換算すると、1冊500万円ほどになっていました。

一方、同社の主力製品は1個当たり数百円でした。それを現場の営業マンは一生懸命売り、工場では原価低減に苦労しながら作っていたのです。

PDCAの計画は、こうした「資料づくり」の作業を増やしていきます。特に、そのようにして作成された計画書をトップや役員に報告しなければならない場合、その作業はさらに大変なものになります。しかし、そのような苦労して作られた報告書は、ほとんど価値を生み出していないのが実情でしょう。

例えば、経営企画がトップに報告する経営計画なるものは、各事業部から報告された予算を足し合わせたものにすぎず、例えば、不振事業があったとしても、その原因を特定し、対策を講じたものになっていないのがほとんどです。したがって「事件は現場で起こっている」にもかかわらず、「会議室で現状維持を確認している」にすぎないのです。

残念ながら、日本では本社やスタッフ部門を上とみなし、現場を見下す傾向が強いように感じます。昔、トヨタでは現場の製造現場を支える職長を非常に尊重しており、職長を集めた忘年会に出席した役員は、職長の進める酒は必ず飲み干さなければならない、という話を聞いたことがあります(今ではさすがにこのようなことはないと思いますが)。このように現場を尊重し、現場を支援するトップがいる会社は強いのです。

別の言い方をすれば、「知識か智慧か」どちらを重視するのかということです。現場で重要なのは智慧です。出世で重視されるのは知識です。知識で智慧を制御しようとするところに問題の元凶があります。PDCAは、それが「資料づくり」で回されている限り、知識でもって智慧を逼塞させていることになるのです。

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