タイヤメーカーのミシュランが発行する『ミシュランガイド』。おいしい飲食店のお墨付きとなる「星」を、ラーメン店として2015年に世界で初めて獲得した「Japanese Soba Noodles 蔦(つた)」(一つ星)が、劇的な変革を打ち出した。
2012年1月のオープンから構えていた東京・巣鴨のお店を昨年11月に突如として閉店。同時期に発行された『ミシュランガイド東京2020』には非掲載となり、5年連続の栄誉とはならなかった。一方で、同年12月13日に「Japanese Soba Noodles 蔦」という同じ店名で東京・代々木上原へ移転オープン。「1杯3550円」という超破格のラーメンを看板メニューに掲げてリニューアルしたのだ。
どんな飲食店・レストランにとっても最高の栄誉であるミシュランの星をいったん手放しただけでなく、1000円台を超える高額のメニューを設定しづらいラーメンのジャンルにおいて異例の高価格を打ち出すという2つの変革には、どんな意味があるのか。「蔦」をあまり知らない人のためにも、その生い立ちからミシュラン一つ星獲得の歴史も踏まえて解説していこう。
父のラーメン店で修行、アパレル勤務経験も
「蔦」の店主、大西祐貴さんは高校を卒業後、藤沢で父が営むラーメン店「七重の味の店 めじろ」で4年間修行。その後、1度アパレル会社などに勤め、5年間はラーメンの現場から離れていたが、再び「めじろ」で3年間修行した。
独立に向けて動く際、2006年にオープンし、後にミシュラン一つ星を獲ったラーメン店「SOBAHOUSE 金色不如帰」(東京都新宿区)の山本敦之店主から「やるなら都内で勝負したほうがいい」とアドバイスを受け、山手線内で坪数・立地・家賃の条件がそろうところを探し、巣鴨の物件を見つけた。小料理屋の居抜き物件だったが、自家製麺用の製麺機も置くことができ、そのままオープンとなった。
横文字の店名や、和洋中が自然と融合したようなメニューなど、当時としては画期的な取り組みとして話題だったが、「蔦」は実は開店当初から海外を意識した店作りをしていた。
大西さんは、かつてのアパレル時代に、出張のため海外で食事をする機会が多かった。欧米は、パスタやハンバーガーなどソースで食べるものが多く、ダシをきかせた食べ物に出会うことが少なかった。そんな中、自分の作ってきたラーメンは、日本を世界に発信できる食べ物なのではないかという思いが湧き始めたのだ。
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