「さよならテレビ」を支えた映画配給会社の信念 ドキュメンタリー配給で定評「東風」社長語る

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──ドメンタリー映画は当たらないと言われているにもかかわらず、失礼ながら、小さくても社員が5人いるというのが驚きで。まず会社設立の経緯を教えてもらえますか。

その事情を話すと長くなるんですが……。

東風の木下繁貴代表。「急に会社をつくる必要があった」というのが立ち上げのきっかけだったという (筆者撮影)

話をコンパクトにまとめると、木下さんたちが「東風」を立ち上げたのは2009年。もともと木下さんは日本映画大学でドキュメンタリーを学び、将来はつくり手になりたいと考えていた。「東風」をつくる前、木下さんは、CMや小規模の劇映画を製作する会社の宣伝部門にいた。しかし、公開を控えていた作品をめぐるトラブルから会社を飛び出して、自ら配給することを決意する。

事前の準備もないまま会社を作った。33歳だったと思います。長崎の父親に頭を下げて100万円を借り、それを資本金にしたのですが、正直ここまで続けられるとは思っていなかった。

しかし、義憤にかられ会社までつくって配給した映画は「当たらなかった」。人件費分が持ち出しとなったが、並行して前の会社から請け負っていた作品の仕事で日々をしのぐ船出だったという。

いまは請負という形はあまりやっていないのですが、当時は製作者からお金を出してもらって、それをもとに配給宣伝をしていました。運転資金がなかったので綱渡りですよ。

前の会社のときからドキュメンタリーの話はいくつかいただいていたので、そうした形で続けていった。資金繰りは苦しくとも、スタッフの給料は滞りなく支払うことができました。

すぐに会社をつくらなければならなかった

──東風はなぜ「合同会社」なんですか。

外資系が会社をつくる際に多いですが、1番の理由は、1日でも早く会社登記をしないといけなかったからです。株式会社だとプラス1週間ぐらい時間がかかったので、一夜漬けで本を読んで、法務局への申請書を作りました。

もう1つには、先行きの見えないこの会社についてきてくれたメンバーなので、利益が出たらみんなで分けていきたいと思い、出資比率に応じなくても自由に配当できる合同会社を選んだというのもあります。

──社名を「東風」にしたのはなぜ。

映画の公開前に会社をつくって、トラブルのあった相手方に内容証明を送らないといけない。そのためには、この日までに登記を終えないといけない。登記のための印鑑の作成にかかる日数を考えると、会社名は1日か2日で決めないといけない。

そこで渋谷のユーロスペースの支配人、北條誠人さんに相談したときに出たのが「バンドリアン」。日本語にすると「東からの風」という意味合いの言葉で、「東風かぁ、ゴダールの映画の作品名にあったなぁ」と思いながら判子をつくりに行った。

翌日、スタッフに報告したらこれが、まあ不評で(笑)。カタカナのレーベルがはやっていたから、後々そうしょうとかといって収めたんです。もう印鑑は頼んでしまっていたので……。

──会社として軌道にのってきたのはいつ頃からでしょうか。

1年目から少しだけ黒字を出すことができたんです。初年度は年商6000万円くらいだったと思います。

──「配給宣伝」を請負う形で収益をあげていったのでしょうか。

うちは「請負」の場合は、配給宣伝費を預かり、上映して入ってきた配給収入から配給手数料をいただいて、残りを製作者に戻す。だから、持ち出しはしない。それをベースにしていたんですが、配給宣伝費だけではスタッフの人件費を賄うのは難しい状況でした。

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