白石一文「人生は失敗」と語る天才に見える境地 直木賞作家が振り返る「文春、出世、心の病、女」

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「まさか『いま、弟の浮気で弟夫婦が大ごとになってます、ついてはちょっと福岡帰りたいので今日の校了は明日に延ばします』なんて言えない。だからって代わりに親父が倒れたなんて嘘もつけない、文春で。だって親父(小説家・白石一郎)の担当者もいっぱいいるから、すぐバレちゃうじゃない」

「親父が行方不明になったときも、息子なんだから普通は行くのに、僕はすぐに弟に電話して『お前なんとかしてくれ』。弟が福岡中のホテルに電話をかけて調べたら『白石先生、来てます』と見つかって、マスターキーで部屋を開けたら、ベロンベロンに酔って素っ裸の親父が寝っ転がってた。いま思えば、それも見ていれば小説書けたのに、ってちょっと思うんだけど」

そんな調子で、肝心なときに子どもの成長を見ることもできず、自身の家庭も「壊滅的」だった。この小説家が今回の自伝的作品で詳(つまび)らかにしたのは、22年間正式に離婚できない妻と、音信不通の息子の存在だ。妻との関係に悩む苦しさのあまり「お前なんて生まれて来なければよかったんだ」と息子へ取り返しのつかない言葉を投げつけてしまった罪悪感に苛まれ、夢に見る時期が続いた。

自分の人生は「大失敗だ」

白石は自身の人生を「大失敗だ」と語る。

「新卒入社から役員になるくらいまで、みんなが30年近くかけてしがみついている大組織での出世なんて、平等な選別でも必然的な結果でもない。残った人は自分が選び抜かれた人間だと思いたがるけれど、本当は上司運や時代の潮流や、自分の家庭や健康なんかの個人的な事情で、ちゃんとした競争なんて成立しない。やっぱり勝負事とかギャンブルとか、レースを戦ってるようなものなんです。大事なものをたくさん捨てて、キャリアアップを目指して脇目もふらずに仕事をしていたって、たとえ結果が出ても自分の一生を通じた幸福とはほとんど関係がないんと思うんですよね」

白石 一文(しらいし・かずふみ)/1958年福岡県生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞を、翌2010年には『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞(撮影:今井 康一)

「僕が病気になったのも当然だったと思う。あんなに無理してたら病気になるに決まってるし。レースって必ず結果が出るじゃないですか。なりたいものになったって、なったところで終わりなんですよ」

白石は、編集者時代に昵懇になった政財界の大物たちが「みなどちらかといえば(人生を)後悔していた」と指摘する。「彼らにはものすごく大事なものを犠牲にし、その苦痛を受け入れてきたという、自分に言い聞かせる物語がある。それが転じてプライドになってしまっている面もあるけれど、犠牲にされたほうからしたらえらい災難だよね」

だが編集者業の傍ら、白石は小説を発表していたことでも知られる。「小さいときから、小説家になりたかった。そのなりたい気持ちが、われながら異常だった。親戚のおじさんが『自分は作家になれるんだったら左手はいらない』と話すのを、高校生の僕は『あのおじさん、甘いよね』と。『俺なら両脚も要らないから』って」

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